(一)

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「またあなたが俺に傷をつけた。俺は傷だらけだ。あなたのせいで。あなたが付けた傷がどれほど疼くか分かりますか。どれほど俺を苛むか」  声とともに、いつの間にか背中に回っていた両手が身体を這い上ってくる。全身が震えてきた。橡の手は怖ろしい引力を持っていた。その引力が、自分の四肢を八方から引き裂く予感に駆られたのだ。  けれど抵抗する手は、いつしかしがみつくそれに変わっていた。 「は、放し、」 「蘇芳様。あなたの姿の前では、自分が哀れな咎人に思えてしまう。いつも焼きごてを当てられているようだ。痛い。苦しい」  痛い。苦しい。そう訴える橡の声が、途方もなく甘く響く。蘇芳は身体の奥深くがじんじんと反応することを感じながら、どうにか震える膝を持ちこたえさせていた。  耳の中に、橡の声が忍び入る。 「思いを遂げさせてくれませぬか」  そう言うが早いが、橡の手が着物の裾から滑り込んできた。大きく捲り上げ、熱を孕み始めていた蘇芳の陰茎に触れる。  とたんに、あらん限りの力で橡を突き飛ばしていた。不意を衝かれた橡が一歩後じさる。蘇芳は震える足でよろよろと彼から離れると、掠れた声で絶叫した。 「私に近寄るな……!」  近寄るなと叫んだ蘇芳の言葉が、思いがけなく橡の胸を深く抉った。  本当に傷がついたと感じた。  蘇芳は震える手で着物の乱れを直すと、泣き出しそうな顔で睨んできた。性急過ぎたか。そう冷静に判断しながらも、橡の胸にお門違いの憤怒がじわじわと滲んでくる。  確かに、蘇芳を犯すという手段は、領主の褒美目当ての大路と、村を出たい自分の思惑が合致した結果だ。けれどそれだけではないと橡は直感していた。  この得体の知れない蘇芳への感情が自分を突き動かしている。さらには、こんなにもいたたまれなく感じさせる。 「なぜだ」  橡の低い唸り声に、蘇芳の顔が震える。 「なぜ、何をそんなにも必死なのだ。本気で思っているのか? 貞操を穢せば人形が作れなくなるなどと。一生童貞でいろとでも言うのか。バカバカしい」  蘇芳が驚いた表情を見せた。 「どうしてそのことを」 「そんなものはあなたの母親の世迷言に過ぎないのではありませんか。なぜそんなものに縛られる? あなたはもっと自由になりたいと思わないのか」  自分の言葉が、そのまま自分の胸を刺す。  自由に。
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