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(二)
橡が大路の家の囲炉裏端に上がると、彼は開口一番言い放った。
「なぜぇワッシャの言うとおりにせん」
蘇芳のことだとすぐに分かった。橡は努めて冷静な声で答えた。
「蘇芳の人形作りは進んでいないようだ。様子を見ている」
「ドアホぅが。作ってからでは遅いんじゃ。何をぐずぐずしちゃる」
そう吐き捨てると、ぎろりと橡を睨む。
「まさかお前。あの人形に情が移ったわけちゃうやろな」
無言を返した。その頑なな表情をしばし眺めていた大路は、やがてふんと鼻を鳴らした。
「まあええわ。言うことを聞かんのなら、村から出すっちゅう例の約束も全部無しよ。一生、魂込めビトとして忌み嫌われながら女を抱いてりゃええわ。今年はこの日照りやしな、村のもんがピリピリしとる。魂込めの後に雨が降らんかったら、ますますお前の立場が苦しくなるぞぉ」
ふと橡は大路を見た。長年胸の奥底で淀んでいた問いを彼にぶつける。
「なぜ、我ら一族は」
「ああん?」
「なぜ我ら一族は魂込めビトになったのだ」
一瞬、大路が虚を衝かれた顔をした。が、すぐににやりと笑うと、橡の背中をばんと叩いてくる。
「橡よ、その質問はなんでお天道様は毎日昇るのって聞いとるようなもんや。こがいな質問、答えられる奴があるか? そういうもんなんや。お前の家が魂込めビトなんも、お天道さんが毎日昇るのもな。そやろ?」
「……」
「ああそれとな、お前、あの沼には近付いてへんやろな?」
すぐ間近にある大路の顔を見た。手には人形を作るための木彫刀を持ってはいるが、染みついた酒臭さはどうにも消えないようだ。
「あの沼には近付くな。ええな」
「……なぜだ」
「なぜも何もないわ! 昔から何度も言うてるやろが! 蛇がおる。あの沼にはおっきい蛇がおるやろうが!」
ここにきて、初めて橡は疑問を抱いた。
確かに互いが幼い頃から、大路は沼に近付くなと言っていた。が、彼は大蛇がいるなどと本気で思ってはいない。それではなぜ、橡にも村人たちにも、こうして執拗に言い募るのか。
もしや、沼に近付いて欲しくない理由でもあるのだろうか?
すると、唐突に降って湧いた疑問を蹴散らすように、大路が大口を開けて笑った。また強い力で橡の背中を叩く。痛いほどだった。
「ワッシャの言ったこと、忘れるな。お前は成すべきことをしたらええ。この村から出たいんやろ?」
村から出る。
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