(二)

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「では戻りましょう」  はっとノノは橡に抱きついた。 「嫌! ウチ、橡はんのそばにもっといたんよ。昼は兄さんや村の人の目がうるさくてそばにいられへん。やしぃこうして」 「ノノ殿」 「橡はん、なあウチのことぎゅっと抱いて、ほかの女には絶対に渡したくないんよ、ウチはずっと魂込めの女になりたかった、お願い、もうウチ以外は抱かないって言って」  とたんに、ノノの熱い言葉に煽られたかのように、ふ、と松明の炎が消えた。墨をかぶったような闇が二人を呑む。ひっとノノは悲鳴を上げ、橡の着物を握り締めた。 「つ、橡はん、火が、何も見えな」  その時だ。  声が降ってきた。  たれそ わが ねむりを やぶるは  ノノの全身が縮み上がる。体温が飛び、すぐ間近にいるはずの橡の感触も覚束なくなる。  われは ぬしなり  におふ におふぞ ちの においなり  がくがくと膝頭が震え出した。  声はわんわんと木立の間で跳ね返り、ノノの真上から降って来る。  ぐっと目を閉じた。けれど目を開いても閉じても、目の前は同じ漆黒の闇だった。恐怖のあまり、ノノの意識が遠くなる。  ここは われの ぬまなり やまなり  われは ははなり つまなり  にょにん はいるを ゆるさず  にょにん はいるを ゆるさず  ふっと身体から力が抜けた。  耐えられる一線を越えたノノの意識は、あっという間に闇に呑み込まれてしまった。  意識を失ったノノの身体を支えたとたん、流れた雲の隙間から月が現れた。同時に数多の星の瞬きも見える。橡は彼女の身体をそっと横たえると、頭上を振り仰いだ。 「蘇芳様」  橡の呼びかけに、かさりと頭上の梢が鳴った。程なくして蘇芳の声が降って来る。 「ここです」  現れた淡い月光を頼りに、橡も木に登った。一番低い幹の上に潜んでいた蘇芳の影を見つけると、そのそばに滑り込んだ。 「どうですか」  不安げな蘇芳の声に、橡は思わず笑ってしまう。 「蘇芳様に芸事の気があるとは思いませんでした。話に聞く都の猿楽役者もびっくりでしょう。ノノ殿は驚いて卒倒してしまいました」 「気の毒なことをしました」 「山の神は女性だと昔から言われています。女人が立ち入ることを嫌う。もうノノ殿はこの沼に来たいなどと言い出さないでしょう」  そのためにこの滑稽な芝居を打ったのだ。ここまで効果があるとは思わなかったが。  蘇芳が困った声を出す。
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