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酒だけではない、蘇芳の悲憤が、彼の目を見えなくさせていった。ぼんやりと輪郭を失う視界とともに、蘇芳は自分から何もかもが剥がれ落ちていく感覚に襲われた。
もうよい。全部壊れろ。全部消えろ。
全部。全部だ。
ふっと笑った。
そうか。尊厳も何もかも剥がされ、剥き出しになってやっと、見えてくるものもあるのか──
私は本当は、何もかも無にしたかったのだ。棄て去りたかったのだ。母も。人形も。
自分も。
男が蘇芳の両足首を掴み、大きく広げさせた。自分の痴態も、男らの声も、すべて蘇芳は遠くに感じていた。
「なんじゃあ、人形さんが笑ろてるぞぉ」
「気持ちええんか、ああ?」
そう怒鳴った男に身体をひっくり返された。腰を抱え上げられる。ものを掴まれ、後ろから舐め上げられる。乱暴な扱いに身体を揺らされながら、蘇芳はぼんやりと板間の目を見ていた。月明かりに照らされた板目が、美しい川のように見える。
その川の流れの間に、光るものがある。ふと目を凝らした蘇芳は、やがて、それが自分の木彫用の小刀だと分かった。気絶しても、これだけは握り締めていたらしい。
「──」
刀の輝きを目に映したとたん、不意に蘇芳の正気が戻った。その間にも、男らの手や舌は勝手に自分の身体を蹂躙している。蘇芳は刀のほうへと手を伸ばした。
いくら小刀一つがあっても、自分の力で男らには抵抗できない。
それならばいっそ、この身を──
男たちは蘇芳の身体に夢中で気付いていない。手を精一杯伸ばし、小刀の刃に触れた。指先にびんと冷たさが伝わる。母の顔を思い出した。泣きそうになった。
刃を手繰り寄せ、柄を手に取る。
こんな恥辱を受けるくらいなら。
否。何もかも無になれと願う、こんな自分の本性を知ってしまった今となっては。
一気に振りかざし、自分の喉を突こうとした。
その時だ。
一つの影が手元を暗くした。はっと振り返ると同時に、自分を後ろから抱え込んでいた男の身体が、どうと板間に落ちた。驚いたほかの二人が飛び退く。
蘇芳は目を見開いた。
橡が暗がりに仁王立ちしていた。手に一振りの刀を持ち、息を激しく切らせたその姿は、立ちはだかる鬼神にも見えた。
ぎらぎらと月光の光を反射した目で、橡が残った男たちを睨む。無言のまま小屋に踏み入れると、あっという間に隅に彼らを追い詰めた。悲鳴を上げる男たちに刀の切っ先を向け、低い声で言い放つ。
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