(二)

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 必死の声に聞こえた。そんな彼の声は、果たして自分を悲しませるのか憤らせるのか、はたまた陶酔させるのか……判断がつかないままに、蘇芳は自分を支える橡の腕から逃れ出た。浮力が、ふわりと自分を支える。  腕を再び取ろうとする橡の手を払うと、蘇芳は震える足で岸へと向かった。水を引きずる身体の重さは、この世界でたった独りであることの証しにも思えた。 「蘇芳様」  橡の声が追ってくる。蘇芳は重い水の愛撫を感じながら、言葉を絞り出した。 「そのように優しく振る舞うのは」  掠れた自分の声を他人のようだと思う。 「社の大路殿に頼まれたからか」  空気がひやりと冷たくなったことを背中に感じた。けれど蘇芳は橡の顔を見ることもなく、岸へと向かう。 「大路殿に告げられよ。この蘇芳は人形など二度と作らぬ。もちろん人形競いも辞退する。だから安心なさるがいいと」  ばしゃりと音を立て、橡がすぐ背後に近付いてきた。逃げる間もなく、腕を取られる。 「蘇芳様っ」 「放せっ」  思わず振り仰いだ目に、自分を見つめる橡と、背後の空にかかる月が映った。その冴え冴えとした光が蘇芳の息を一瞬止め、そしてさらなる悲憤を揺り戻す。  こんなにも滑稽なのに。酷いのに。それなのになぜ、私の目に映るお前たちはそんなにも美しいのだ。  どうして私をこんなにも惹きつける! 「私を犯したいなら、今すぐにでもするがいい。私は抵抗などできぬ。私は弱い。お人好しの父を喪い、国を追われ母に泣かれ、それでも何もできずにつっ立っていることしかできなかった卑小なものだ!」  どんと橡の身体を突き飛ばした。右手に固く握りしめている小刀がきらりと光る。 「どうした? あなたはそれが目的で私に近付いたのだろう? 犯せばいい。さあ」 「蘇芳様。確かに初めはそうでした。俺は大路にあなたを辱めろと命じられた。でも、どうしてもできなかった」  もういい。蘇芳は彼の手を振り払い、岸に上がった。何もまとわぬこの身に残るのは、滴る水と握った小さい刀一つだった。  苦しげな橡の声が響く。 「あなたを騙し、今こうして傷つけてしまったことに対して言い訳はしない。けれどどうか、人形を作らないという前言は撤回してくださいませ。蘇芳様、あなたにとって人形を作ることはあなたの命そのもの、生きることそのものなのではありませんか」  手にある刀の輝きを見た。月からほんの僅か授けられた情けだ。
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