(三)

2/9
前へ
/73ページ
次へ
 村に戻ってから橡とは会っていない。魂込めビトは、儀に際して数日身を清めるという。食を断ち、他人との交わりを断ち、心身を空っぽにするというのだ。  そうしてその空の器の中に土地の穢れ、災厄を受け、さらには奉納のために女を抱く……橡が己の身体に開けた傷口を思い出した。とたんに蘇芳は拳を握り、無意識のうちに納戸の板塀を殴りつけていた。  なぜだ。なぜ、橡はあのような役目を担わされているのだ。災いを受けながら、奉納の役割まで果たす。畏れられ、侮蔑されている。  くっと唇を噛んだ。彼が抱える孤独、悲哀を想うと、胸が裂けそうに痛む。  会いたい。今すぐに会いたい。  がくりと膝をついて自分の口を押さえた。こうでもしないと、本当に声に出して叫び出してしまいそうだった。  会いたい。橡、私はあなたに会いたい。  あなたは今夜、ノノ殿を抱く。私が作った人形の前で。  うう、と呻いた。  嫌だ。あなたがほかの誰かに触れるなんて耐えられない。  交わした口づけの感触が甦る。橡は蘇芳に嵐のような口づけを降らせ、身体を抱き締めた。それ以上は決して乱れなかったが、すでに蘇芳の内奥は悟っていた。自分が待ちかねていることを。  熱く重みを増してきた身体に耐えかね、蘇芳は納戸の板の間に転がった。きつく股を閉じ、内腿を擦り合わせる。幻想の橡の手指が自分を翻弄する。  母上。蘇芳は激情の奔流に怯え、内心で母を呼んだ。  母上、私は穢れていますか。もう人形を作る資格はありませんか。けれどこの高揚はどうしたことでしょう。母上、正直に申し上げます。私は幸福なのです。  橡殿のことを考えると、幸福なのです。  鋭敏になった肌が、ふとした摩擦にも悲鳴を上げる。蘇芳は全身の要所が固く尖っていることを感じながら、一人喉を仰け反らせた。  遠い嫁入りの唄が、蘇芳の上を撫でていった。  中天に在る月が沁み入りそうに輝いていた。蘇芳はぼんやりと納戸の板の間に転がり、窓から射す月光を見上げていた。  魂込めの宴は程なくして終了したようだ。あとは魂込めビトである橡の奉納が残っているだけだ。  魂込めの一日、魂込めビトは人前に姿を現すことを許されない。だから人々は各々の家屋で息を殺し、魂込めビトが女を抱く気配を全身で嗅ぎ取ることになる。  言ってみれば、村全体が橡に抱かれるようなものなのだ。なんという淫靡。
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!

53人が本棚に入れています
本棚に追加