(三)

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 ふっと息をつき、蘇芳は起き上がった。ダメだ。このままでは頭がおかしくなる。もう寝てしまおう。忘れよう……  その時だ。はっと蘇芳は振り返った。  納戸の外に、密やかな足音を聞いたのだ。近付いてくる。板壁を射抜かん勢いで凝視する蘇芳の耳に、やがてその声は響いてきた。 「蘇芳様」  信じられない思いに息もできない。それとも月が喋ったか。  声が再び自分を呼ぶ。 「蘇芳様」  震える足で声がするほうへと歩み寄った。壁越しに相手を呼ぶ。 「……橡殿……?」 「蘇芳様。迎えに上がりました」  息を呑んだ。 「えっ?」 「出てこられますか」  戸に飛び付いた。一気に引き開けようとして、母屋のほうを見る。僅かに開いた板戸の隙間から寝入っている母の姿が見えた。その姿を確認してから、今度こそ蘇芳は納戸の戸を開けた。  目の前には橡が立っていた。 「……」  束の間、二人は互いの姿に見入った。伝え合う言葉は思いつかず、蘇芳は自分こそが空っぽになったと感じる。 「あ」  が、すぐに自分の姿が乱れているのではないかと気付いた。今日一日、目の前にいる男のことばかりを想い、息もつけなかったのだ。  急に気恥ずかしさがこみ上げ、あわてて身に付けている小袖を直した。やっと声が出る。 「いかがなされました、橡殿。あなたは今……」  ところが、返事の代わりに返ってきたのは、橡の突然の行動だった。唐突に自分を横抱きに抱え上げたのだ。 「な?」  抵抗することも忘れ、蘇芳は腕の中から橡を見上げた。橡は蘇芳を抱き抱えたまま、ゆっくりと歩き出す。  歩調には上下左右の乱れがあった。先日、蘇芳の刀でつけた腿の傷が治ってはいないのだ。 「降ろしてください。あなたはまだ足の傷が癒えてはいない」 「いいえ。俺がこうやってあなたを抱いて行きたいのです」 「橡殿、一体」 「魂込めの儀を行います」  ひゅっと蘇芳の喉が鳴った。食い入るように橡の顔を見つめてしまう。 「な……何を言っておられる。あれは、女人を抱かなければ」  豊穣を願うための魂込めなのだ。男女で番わなければ意味がない。  橡が蘇芳を見下ろした。艶やかに笑む。 「俺が人形に魂を込めるのです。それならば、俺が本当に想いを遂げたい相手を抱くのが道理でしょう」
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