(四)

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 そしてここで、もう一度人々は仰天することになる。なんと橡も生前の姿を留めたままに、縦に深く掘られた穴の中に立っていたのだ。すっかり怯えきった村人たちは、蘇芳を橡の隣に埋葬すると、手を合わせてひれ伏した。赦してください、どうぞ鎮まりくださいと。  さあ。これで雨は止んだと思うかい?  ……ああ。そう。止まなかったのだ。  すべてが遅きに失したのだね。  山を轟かせ、草木をなぎ倒し、田んぼを押し流してもなお、雨は止まない。いつまでも止まない。  唄にもあるだろう?  ──なみだにぬれたにんぎょうを  うめてもどしてあめやまぬ──  非業の死に追いやられ、今生の絆を断たれた二人は、どうあっても泣きやまなかったのだ。  そしてとうとう、蘇芳と橡以外近付かなかった沼の周囲が崩れ、沼が埋まってしまった。だから今、この村の周辺に沼などないだろう? この時消えてしまったのだよ。  沼が埋没すると同時に、山全体が雪崩れ落ち、村へと押し寄せてきた。家屋も土地も押し潰され、村人の半分が死に絶えたというよ。  ここまで壊滅状態に追い込まれてやっと、雨は止んだ。山全体は崩れ、高かった峰の連なりは消え失せてしまった。ところが橡たちが埋められた箇所だけは崩れることもなく、この突き出た鼻のような形で残ったのだ。  そこで生き残った人々はすっかり畏れをなし、この場所に祠を建て、手厚く供養したというわけだ。  ……えっ? 大路やノノはどうしたかって?  ノノは助かったけれど、大路は山崩れに巻き込まれて死んだ。でも生き残ったノノも、生涯狂気のうちに生きたというから……気の毒と言えば気の毒だね。  ところで、この大路の最期には後日談があってね。ただ一人、大路が果てたところを目撃した人物がいたのだ。この人物の家は、村の家屋のほぼ全戸が壊滅状態だったというのに、たった一軒だけ壊滅を逃れて残った。一体誰だと思う?  蘇芳に橡の埋められている場所を教えてあげた少年さ。この少年の家だけは、なぜか押し寄せる洪水にも土砂にもびくともせずに残ったのさ。  そして村に押し寄せてくる山を振り仰いだ時、確かに見たと少年は後々語ったそうだよ。  沼がある方角の山腹から真っ白い大蛇が飛び出してきたと。大蛇は身をくねらせ、豪雨の中、村を目がけて降りてきた。その蛇の美しい白い肌を見て、なぜか少年はこの大蛇が女人だと思ったらしい。
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