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「いいえ。お前の作る人形が、こんな卑賤な村のものが作る人形などに劣るわけがない」
それでいて負けるなとまた繰り返す……蘇芳は黙って頷きながらも、いつしか、母の言葉が自分の中を素通りしていくことを感じていた。
人形を作るという行為は物心ついた時から始めていた自然なことだ。呼吸と変わらない。優劣、凡非凡の別など付くわけもない。勝つ負けるという判断はどこから生じるのか。
それに、母がことあるごとに口にする「卑賤」という言葉にも、蘇芳は違和感を覚えていた。人間になぜ上下の別を付けるのか。
崇高な人間などおらぬ。これが若い蘇芳が骨身に叩き込んだ実感だった。父を斬首させた輩は、全員が立派な装束をまとい、楚々とした顔をしていた。が、腹の中は黒く腐臭を放ったものでいっぱいだったではないか。
人間に別はない。みな、同等に卑しい。
こんな遠雷のようなわだかまりが腹の底で唸る時も、人形を作っていれば忘れられた。蘇芳はこの村に逃げてきてから、以前よりいっそう熱心に人形を作るようになっていた。
そんなある日、いわゆる「人形競い」の触れが出て十日ほど経った時だった。
突然、あの男は蘇芳の前に現れた。
まずい。
蘇芳は息を切らせながら思った。焦燥と恐怖がじわじわと全身に満ちてくる。慣れない山道を駆ける足元が、いっそう覚束ない。
それでも胸に抱えた温かい塊を離そうとはしなかった。蘇芳は自分の腕で抱きつぶしてしまわぬようにしながら、木の根や石に足を取られつつ、走った。
背後で男たちの声が上がる。
「返せ、盗人の子ぉ!」
「親父が盗人なら、がきゃ(子供)も盗人かあ」
屈辱的な言葉に顔が熱くなる。とたんに、足元の根につまづいた。あっと声を上げる間もなく地面に転がってしまう。痛いと思うより先に腕の中を見た。不安げな赤い目が自分を見上げているのを見て、蘇芳はほっとする。
が、すぐに追ってきた男たちに囲まれてしまった。自分と同じ年代の男たち三人は、舌なめずりをせん雰囲気だった。蘇芳は仔兎を胸に抱いたまま、尻で後じさった。
「返せ、ワッシャ(俺)の罠にかかっちゃった獲物だぞ」
「食べるのか? お前の母上様がそがな臭いもん、潰してお口にぶちこむんか」
そう言うと男たちはげらげらと笑った。その笑い声に合わせ、蘇芳の指に小さい生き物の心臓の鼓動がとくとくと伝わる。
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