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「あなたが、彼らが仕掛けた罠を外してあげたのですか……? 蘇芳様」
そう言うと、彼はまだ座り込んだままの蘇芳を見下ろした。瞳の黒だけが、涼やかというより、寂しげな色を湛えていた。その色に魅入られながら、蘇芳は小さく頷いた。
「はい。歩いていて、罠を偶然見つけたものですから。足に荒縄が食い込んでおりました。可哀想に思って外したのです」
「ところが、それを運悪く連中に見つかったわけですね」
ふっと男は笑った。ここにきて、やっと蘇芳は自分のあられもない格好に気付き、あわてて身づくろいした。まだふらつく足で立ち上がり、深々と頭を下げる。
「ありがとうございました。おかげで助かりました。橡(つるばみ)殿」
この魂込めの一族の男は、名を橡といった。口をきいたことはない。が、四季を通じ彩りの変わらないこの土地で、橡はよそ者である蘇芳にも、明らかな異物として目に映った。
魂込めビトと呼ばれる彼は、日がな一日ぶらぶらとし、衣食住にも足りているように見える。が、その反面、村人たちから畏れられ、さらにはどこか侮蔑されているという複雑な感情の矢面に立たされていた。
けれど、蘇芳には魂込めビトの置かれた複雑怪奇な立場より、彼の持つ独特の雰囲気のほうに興味を惹かれた。「穢れ」や「畏怖」の象徴でありながら、毎年村の女たちが競って抱かれたがるのも分かる。
魂込めビトは何ものにも侵されず、自然を苛む風雨にも堪えないといった、神秘的な強さを発していた。さらには整った容貌を持ち、肌は土地の太陽に焦がされていない白い色をしている。
人形に魂を込めるべく女を抱く魂込めビトは、生まれながらに人を惹きつけてやまない力を持っているのだろうか。蘇芳は素直に感嘆してしまうほどだった。
その魂込めビトの男、橡の手の中で、仔兎が小さく鳴き声をたてた。蘇芳は駆け寄り、仔兎の耳をそっと撫でた。橡の手から仔兎を受け取る。そんな蘇芳を見下ろしていた橡が、小さくつぶやいた。
「蘇芳様は、俺が怖ろしくはないのですか」
彼の言葉に、蘇芳は橡を見上げた。
「怖ろしい?」
「先ほども男たちが言っていたでしょう……穢れです。俺は土地の災いを一身に受ける魂込めビトだ。だから俺に触ると穢れる。村の人間は、ガキの頃からそう言われて育っている」
そう言う橡の目が、真っ直ぐ自分に注がれている。一抹のむず痒さを感じながらも、蘇芳は答えた。
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