華やぎの明日香路

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━━━そのご家族は…★  お孫さん(小5)。お母さん。お婆さん。お爺さん。の4人連れだった。  お孫さんの春休みの社会見学と、脳梗塞を患ったお爺さんのリハビリを兼ねて明日香村を訪れたらしいのだが、  お孫さんは、口には出さないが、お爺さんが好きらしく、杖をついて歩くので、お爺さんの歩みは遅くても、危うい歩みなのだが、すぐ助け起こせる距離にいて、お爺さんが一生懸命、健常時の自信を、ご自身で取り戻そうと努力してるのを、見守る眼差しが、可愛く、また男らしく、咲炎らふたりの瞳に熱き物がこみあげてくるようだった。 * ━━━15年ぶりに━…★  咲炎は、15年ぶりに、石舞台古墳を見学した、発掘調査の結果などを元に、築造された当時の有様を、復元展示されてて、15年前は入場料をとられなかったのだが、  今回は、ある有名歌人の記念館との、共通券で一人あたり400円支払い、石舞台の巨大な礎石の間近まで見学した。 ━━━瑠璃のほほ笑み…★  石舞台古墳だけでなく、多くの古墳は、南側に築造者が出入りする入り口が設けられ、北側に棺を安置する玄室が作られることが多い。  これは、なぜかというと、同じ明日香路にあるキトラ古墳や高松塚古墳の壁画にみられるように、風水に従って、築造された。  つまり、北は玄武が住み着く暗い場所で、死者の国がそちらにあると考えられ、南には朱雀に代表される活動的なものが住んでいる日差しで、明るく照らされている場所。  東は、しらじらと、日がいつも昇り白い空になる場所(白虎)。西は、青々とした清々しい水の集まる場所(青龍)をあらわしているという考え方に従っているのである。  また、風水では、北西側にある部屋を主人の寝室にし、南東側に玄関をもうけ、東に台所を、もうけると家相の運気があがるという考え方と、少なからずも古墳の築造方法は一致しているのである。 ━━━こんな解説を…★  そのご家族にすると、お婆さんが  「お詳しいですね」 と、咲炎は、  『ええ、考古学学んでましたから』 ご家族は、なるほどと頷き瑠璃は  「あはは、ふーん」 と、そうなんだと無関心さを装うのだが、咲炎の賢さにまた惚れなおすのであった。 ━━━━━つづく…★
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