審査

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「まったく……。男の子ってみんなああなのかしら」  一人残された師匠は、テープルで愚痴をこぼしていた。 「自分一人で大きくなったような顔をして、親がどれだけ心配しているかわかっちゃいない。年に一度くらい、家に泊まっていきなさいよ」  テーブルには二つの皿がおかれたままになっていた。一心不乱に食べていた大輔の顔を思い出す。 「私の料理に感激していたけど、あの味が特別なのは自分にとってだけってことに、いつかは気が付いちゃうんでしょうね」  師匠は、厨房の冷凍庫とその一番奥に入っているクーラーボックスに思いを巡らせた。クーラーボックスの中のビニールパック、凍結した白い塊が彼女の料理の隠し味だった。  大輔が生まれたのは、彼女がこの店を開いてすぐの頃だった。開店直後で多忙を極める中、乳飲み子を店に連れてくるわけにはいかず、託児所に預けた。店で仕事をしている間も容赦なく張ってくる乳房を自分で絞ってビニールパックに詰め、家に帰ってから大輔に与えていた。母乳が豊富な体質で、飲み残した分をもったいないと思って冷凍保存していたのだ。  それが大輔にとって特別な調味料であることに気付いたのはたまたまだった。大輔が小学生の頃、家でシチューを作った時、いたずら心で冷凍保存していた母乳を加えたら、彼はおいしいおいしいと言って鍋一杯のシチューを一人で平らげてしまった。  母乳は人が生まれて初めて味わうもので、約一年はそれで命をつなぐ。母乳は味覚の根源であり、絶対のものなのかもしれなかった。  そんなことがあったので、彼女は年一回の審査を始めた時から、冷凍庫に保存していた母乳を隠し味として使った。効果はてきめんで大輔は彼女の料理を特別なものと思い、終わりの無い挑戦を続けてきたのだ。 「まあ暫くはあの子の目標でいてあげましょうか。それが幻に過ぎないとしてもね」  師匠はテーブルの上の大輔の料理を手元に引き寄せた。 「せっかくの大輔の料理だもの。じっくり味わって食べないともったいない、もったいない」  彼女はそれから時間をたっぷりかけて、自分の息子が作った料理を味わう至福の時を過ごしたのだった。
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