前編

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 また私の作品を華美な言葉を用いて語る人が現れた。  知らない画家の名前を挙げたあとに黄金律がどうの、と話始め、その人はニヤケ顔で私をちらりと見つめる。  愛想笑いで返すと満足したように顔を綻ばせる。  たとえばこの、親から遊ぶ許しを得た子供みたいな顔に。 ――この絵画は本日深爪した右脚の親指を想って描いた作品です。  この事実を告げたらこの人はどう反応するのか。心の中で私はせせら笑ってみたが、声には出せなかった。  そして部活の時間も終わりを迎えた。画材を片付け、作品を残したままのイーゼルを所定の場所まで移動させる。  特別棟の1階に位置している美術室からはグラウンドが見える。 いつもならやる気がないサッカー部の練習にあわせて家に帰るはずだったが、今日は怒声を放つ野球部の練習終わりと克ち合った。  練習メニューの最後を飾るグラウンド10周は、部員それぞれが声を挙げて音頭をとっている。適度にうるさい。  けれど。 「ふはは! これだ! この感覚だ! 最高の一枚が仕上がるぞ!」  あっちのほうは酷くうるさかった。  美術室の丁度隅っこ。部員が誰もいなくなったと勘違いしているのか、一人の男子生徒が急に声を挙げ始めた。一つ学年が上の、普段はいつも難しそうな顔をしている先輩。  名前は忘れた。お互いここ以外では面識なんて皆無だと思う。  彼がいる場所付近に学生カバンをおきっぱなしにしていたので、私は視線の置き場として彼の絵を覗き見た。 真っ赤な血の海が広がる世界の終末、その中でネクロノミコンを抱きしめている美少女が諦念と自嘲を含んだ笑みを浮かべている。 「随分と物騒な絵を描いているんですね」 「ひゃあぁ!? びっくりした。なんだ、まだ残ってるやつがいたのか」 電流が走ったみたいにビクリと跳ね上がった彼は、私をみると途端に脱力した。  虚をついてアドバンテージを獲たこと、学年も別で面識がないこと、この二つの要因のおかげで私は率直に、さきほど抱いた彼の絵に対する印象を伝えた。
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