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『ちょ……待て、お嬢、早まるな。よし、わかっ、待て待てっ、わかった! 一か月! それで手を打とう?』  まだ鮮明に浮かぶ。居酒屋の二階。畳の上に転がった大男は、二つ年上の同期、小田村裕次朗(おだむらゆうじろう)。長い手足は酒のせいで動きが鈍い。健は男の硬い胴に馬乗りになり、激しく上下する胸の上に両手をついている。そうして顔を見下ろしている。日本人にしては彫りの深い目鼻。しゅっと肉の削げた精悍な輪郭。顎の髭は朝より少しばかり伸びている。そこに指の腹を滑らせてみる。 『おい……おいおい、お前なにをっ……』  男の手が健の手首を掴む。あまり力が入っていない。健は手首を返して拘束を解き、逆に男の手を絡めとって畳に縫いつける。  いつも軽薄な言葉ばかり吐く憎らしい唇が、今は余裕無く、引き攣った笑いを無理矢理浮かべている。 『一か月だけ! 恋人ごっこ……〝ごっこ〟ならっ、お前に付き合ってやる。だからッ』  焦りと困惑と疲労の色。 『取り敢えず下りろ! らしくないことするなよ、お嬢っ……』 〝らしくない〟?
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