弐、平成三年

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「……ん」  母と仁美がやりあっている内に、祖父がぎこちなくソファから立ち上がった。あわてて私が祖父の肩を持つ。 「大丈夫、おじいちゃん?」 「ああ。すまんな、千代子」  私の名前を間違える祖父。  すかさず、母が訂正する。 「おじいちゃん、その子は久美子です。お義姉さんじゃありませんよ」  最近、祖父はよく私を伯母と間違える。こんなところにいるはずないのに。 「……ん?」  祖父は、何を言っているのか分からないといった感じで母を見た。私と仁美は、渋い表情でお互いを見合わせる。 「その子は、久美子ですよ」  混乱している祖父に、母が重ねて言う。 「……?」  やはり混乱顔のままの祖父は、ゆっくりと私に顔を向けた。  ちゃんと私と目が合っているにも関わらず、その瞳はどこかうつろだ。 「……いや、すまん。座る」  考えている間に、何故立ち上がったのか忘れたのだろう。祖父は再び、ゆっくりと腰を下ろし始めた。 「あら。じゃあ、ゆっくり座ろうね、おじいちゃん。大丈夫?」 「んん、大丈夫。すまんな……えー……」 「おじいちゃん、だからその子は久美子ですよ」 「んん、大丈夫……」 「大丈夫じゃないでしょ、おじいちゃん?」  祖父を補助する私と、祖父に突っ込みを入れる母。  仁美はそんな私たちを、物凄く遠くにあるものを見るような視線で眺めていた。  ソファに身を沈め直した祖父は、そのまま喋らなくなった。  つられるようにして、そこにいる全員が口を動かさなくなる。嫌な間が空いた。 「……すいません。あのテーブル、どこにしまってありましたっけ?」  空気の読めないトヨ君が、私たちの沈黙をあっけなく破った。
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