0人が本棚に入れています
本棚に追加
仕事から帰ると、飼っていたペットが逃げてしまっていた。フローリングの床に落ちた首輪を拾い上げて、「困ったなぁ」と独り言ちる。
今日は朝から雨が酷くなると聞いて、危ないから外に出るなよと首輪をつけていたのだが。どうやらペットは脱走してしまったみたいだ。好奇心旺盛なのはいいが、と窓の外を伺う。酷い土砂降りだ。窓に叩き付けられる雨の音と、ガタガタと窓を揺らす風の音とが不安にさせる。あの子は大丈夫だろうか。
「とりあえず、あの子が雨宿りしそうなところに電話するか」
この雨の中をあてもなく彷徨うのも逆にすれ違いになりそうだ。あの子がよくいくところはどこだったかな、と思い起こしながらスマホを手に取った。
しばらくして、ドアが控えめに揺らされた。あの子が帰ってきたのだ。
僕は用意していたバスタオルを抱えて駆け足で玄関に向かった。
「おかえり!」
勢いよくドアを開けると、頭の先からてっぺんまでずぶ濡れの可愛い子が立っていた。綺麗な毛並みは見るも無残にドロドロだ。
「心配したんだぞ、今日は家にいろって言ったよな?」
僕がどんなに言ってもうつむいたまま答えない。悪いことをした自覚はありそうだ。仕方なく玄関にいれて、バスタオルで拭いてやる。
されるがままのペットが、上目遣いで静かに「怒ってないの?」という視線を寄越した。
「…そりゃ怒ってるよ、風邪ひいたらどうするの。全く、もう言いつけは守るんだぞ?」
優しくそう諭してやると、可愛い子は小さくないた。
可愛いなぁ。
ああ、またダメだった。
「おかえり!」
ドアが勢いよく開けられて、美しい笑顔の男が問答無用で家に引きずり込む。
どこへ逃げても手を回されていた。どこに逃げても「あの人が心配してるわよ」と追い返された。
どうして私なんだろう。この男は地位も金も美貌もある。こんな、しがないOLなんて捕まえて何がしたいんだろう。
私がこの男に婚約という名の監禁をされ始めたのはもう二年も前になる。それから何度逃げ出しても、柔らかい綿のような鎖で連れ戻された。
ああ、私はもうどこにも逃げられないんだ。
「全く、もう言いつけは守るんだぞ?」
そう言う男の瞳に光はなくて、私は絶望しながら涙を零した。
最初のコメントを投稿しよう!