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ある山の奥深くで、ドドドドドドッと崖から水龍が落ち続ける音を傾聴している一人の青年がいた。所々コケが生えた小さな小屋の下で、彼はジッと動かぬセミの様に寝袋に包まれて横になっている。
彼の名前は水樹健一郎という。何故だか、彼の名はこの自然の緑と太陽の光にキラキラと輝く滝と妙に合っていた。水樹が溢れ、また訪れる者全員に強い感動を与える彼等は『健』という文字によく当てはまる。しかし、その名を持つ彼の心中は全くの真逆であった。
「……うっ」
呼吸のリズムを間違えたのか、それとも1週間と同じ体勢で横になり続けていたのが悪かったのか。健一郎は滝に掻き消されて、自分でもハッキリと認識出来ないほどの小さな呻き声を上げた。それによって、彼の心は乱れたのか右目が大きく開く。
「もう、いいか」
健一郎は静かに左目を開きながら、寝袋の中からチャックを下ろす。すると、彼の肌に滝の水っ気のある空気がふんわりと抱き着いた。
「寒いな」
ずっと寝袋の中で過ごしていた健一郎にとっては、この空気は少し肌寒かった。彼は自身の腕を擦りながら辺りを見回す。
「起きた……起きたぞ……」
すると、どこからともなく健一郎の耳に声が聞こえた。しかも、それらは複数らしい。彼は耳を研ぎ澄まし、もう一度辺りを見回す。
「人間だ……人間の男だ……」
「変な奴だ。聞けば、ここ1週間の間にずっとここにいるらしい」
「人間め……愚かな人間め……」
健一郎は声がする方向に、ゆっくりと顔を向けた。すると、小屋を囲むように生えている木の後ろに小さく白い人影が2人ほど覗き込んでいた。彼等の姿は木から生える葉と同じくらいで、また池の中から見える小石の様にボンヤリとした目と口をしていた。
「……ん」
健一郎は隠れようとしている彼等を見て、その大きい顔によって隠れ切れていない姿に困惑する。そして、静かに寝袋から自身の身を出し、彼等に近づこうとする。しかし、
「気づかれた……気づかれた……」
「見えるのか、我々が見えるのか、これはまた珍しい」
「危ない奴だ……危ない奴だ……」
「生意気な奴め。早く去れ、早く去れ」
そう言って、彼等は身を隠して居なくなってしまった。健一郎は彼等を追う事も無く、すぐに足を止めた。
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