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「美咲も来てるんだ。久しぶり」
あ、と声が出した瞬間、奥様に強く手を叩かれて。
ここに来てやっと、話してはいけない意味を理解した。
彼が見えていないのをいいことに、だからこそフリが出来るんだ。
想像を絶する彼達の思惑に、愕然とした。
「美咲がな、歌の練習で喉をつぶしてしまってな。今声が出ないんだよ」
「え?大丈夫?って声出ないのか」
「大人しく家に居とけと何度も言ったのに聞かなくてな。本当に奏人くんのことになると、見境ないもんだから」
「あなた、美咲が恥ずかしがってるでしょう。もうそこらへんにしてあげなさい」
滑稽な芝居に、身の毛がよだつ。
当の本人は今頃、エアコンの効いた部屋で友達と電話をしているに違いないのに。
この人達に、良心というものはあるのだろうか。
本気で疑わずにはいられなかった。
「声がそんなんなら、家で休んどきなよ。気持ちだけでも十分嬉しいよ」
形の良い唇から覗く白い歯。
包帯を巻かれていても、その爽やかさと眩しさは健在で。
そんな優しい彼に対する罪悪感が、胸を蝕む。
「世話がしたいって聞かないのよ。ほら、美咲ってこう見えておせっかいなところあるでしょう?」
「えっ?世話とか別にしなくていいですよ、看護婦さんとかもいますし」
「何か出来ることがあればしたいそうだ。入院生活もつまらんだろうし、相手にしてやってくれ」
「そう、ですね…」
さすがの奏人くんも、少し困惑している。
こんな風に押しかけたら、誰だってそうなる。
なんでこの人達は人の事を考えられないのだろう。
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