61人が本棚に入れています
本棚に追加
退院まで、あともう少ししかないのに。
そう思っている反面、行かなくて良かったと安心している自分が何処かにいる。
会いたい、話がしたい。
会いたくない、これ以上悲しくなりたくない。
矛盾した二つの欲求が、絶え間無く交差する。
それでも机に置かれた、丸みの帯びた彼の宿題を見ると前者の思いが打ち勝って。
急き立てられたように身体を起こした。
あと一週間で、終わらせなければならない。
今やらなきゃ、間に合わない。
お母さんに心の中で謝って、布団から出る。
タンスから厚みのあるスエットの上下を出して、服の上から着た。
…よし。
喝を入れて、ケースから三角刀を取り出した。
ケータイで検索した画像を見ながら、貝の溝を鉛筆で書いていき、その線に沿って溝を掘り始める。
神経を集中させるだけ、頭の疼きが増して行くのに。
堪えながらでも手を動かすのは、これだけは私にしか出来ないことだから。
『美咲』
屈託無く、小さな笑窪を見せる彼の心地よい声が響いて。
締め付けられるような、息苦しさを覚える。
"私"が誰だか、知られてないのに。
本当、報われないバカだな…。
最初のコメントを投稿しよう!