通りの記憶

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目的の店に着き、確かに彼女は僕の目の前にいた。でも、今となっては、彼女と何を話したのかほとんど覚えていない。覚えているのは、少し赤い顔をして笑っている彼女と、「大好きです」と二回言ってくれたこと。二回も言ってくれたんだ。それなのに僕はあの時、ちゃんと答えてあげられたのだろうか。 忘れてしまうのは何故なんだろう。何度も思い出していたはずなのに。一つだけ言えるのは、衝撃的な出来事があると、その前後の記憶が失われてしまうということだ。ほら、ちょうど事故を起こした時の前後の記憶が失われてしまうように。 そう、店を出て、電話ボックスのところで、キスをしたんだ。 その後、彼女はタクシーを捕まえて、逃げるようにして帰っていった。それはそうだろう。僕のいる世界と彼女の世界は別の次元にあって、本来、交わる部分なんて無いはずだったから。彼女の中には、期待している彼女なんて共存していなかったに違いない。 だけど、僕と彼女は同じ世界の住人になってしまった。それは彼女にとっては本当に事故のようなものだったのかもしれない。事故がどうして起こるかなんて誰にもわからない。でも、六本木通りで突然現れたもう一人の僕は、きっと最初からそれを望んでいたのかもしれない。
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