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ただ、多くを語らずとも彼女の悔しそうな表情を見るにつけ、いろいろと合点がいった。不慮の事故、怪我、ないしそれに順ずる理由で大好きな野球ができなくなった。だが、その情熱が燃え尽きることはない。だから、今もこうして野球を観る側として楽しんでいる。
急に野球選手としてではなく女の子として立ち振る舞わらねばならなくなったのだ。流行のファッションについていけないのも無理からぬ話だろう。
「それ以上は言わなくて良い。辛かったんだね」
「えっ……」その顔色には驚嘆の色が浮かぶ。「すごい、もう見抜いてるんですね」
「ああ、おおよその見当はね。ただ、一つ良いかい?」
「なんでしょうか」
「あのでかでかとしたサングラスは外したままの方が良いかな。せっかく綺麗な瞳をしているんだ。自信を持ってみんなに見せてやれば良いんだよ」
「お、お兄さん……」
言葉を逸した彼女の右眼から涙がつつと流れた。玲瓏たるその雫は、僕の理性を破壊した。始終、感じていた自らへの疑念、そしてマイノリティに生きてきた同士、松田への罪悪感、それらが消し飛んでしまった。
それからの記憶はひどく断片的だ。気付いたときには、僕は彼女になにやら熱弁をかまし、連絡先代わりに会社の名刺を押し付け、再会を約束し席を離れていたのだ。
冷静にかえってみても未だに分からない。僕は、確かに彼女に恋をしていた。
なぜだ、なぜなんだ。
だって、僕は対物性愛者じゃないか。完璧な球形をこよなく愛し、試合内容そっちのけで、球体が転がり、または空に舞う様を追うことに血道を上げる対物性愛者じゃないか!
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