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何時のものかも、存在するかもわからない相手への想いで婚約を破棄するなど、父は許さないだろう。
だが、この想いはどうやら筋金入りだった。簡単に忘れて、新しい婚約者への想いで塗り替えられるものだとは、到底思えない。
「……帰らなきゃ」
意を決することもできず、ちから無く項垂れたマナがゆっくりと立ち上がった。
そのときだった。
黒い影が上空を過ぎり、マナの目の前に翼を広げた飛竜が舞い降りた。
陽の光を受けて輝く漆黒の鱗に覆われた躰。二本の腕の代わりに生えた翼。琥珀色の瞳と額に埋め込まれた紅玉。
その姿は、幼い頃母に聞いた伝説の神竜そのものだった。
マナは息を飲み、その場に立ち尽くした。
平静を保とうと試みたが無駄だった。がたがたと震えだした両腕を抱え、身を竦めると、唐突に漆黒の飛竜が頭を下げ、それと同時に、頭上から男の声が降ってきた。
「意外だな。逃げ出すものだと思った」
見ると、黒い影が飛竜の背からマナを見下ろしていた。黒鉄の鎧を全身に纏ったその男は、軽々と飛竜から飛び降りると、マナの前へ進み出て頭に被った兜を脱いだ。
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