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当初は虐待事件や新興宗教に拒否反応を示していた三野田であったが、虐待された子どもたちの心を癒したいという思いで現在に至る。 ゆかりは問いには答えず俯いたままだった。 顔は見えない。 ゆかりは事件に巻き込まれて心を閉ざしていると言うよりも以前からそうであるようであった。 それが事件によりさらに顕著になっているようだと三野田は判断していた。 瞳に光はなく、時折ここではないどこかに意識を飛ばしているようにさえ見える。 なのに握りしめた拳の力は緩めず、そこには確かに感情を感じられる。 その矛盾した反応が三野田は気になっていた。 カウンセリングではまずクライアントとの信頼関係が大事だ。 新田ゆかりとはまだ2回目のカウンセリングになる。 性急なアプローチは逆効果だ。 1回目のカウンセリングでも新井ゆかりは変わらず、 下を向いたまま握りしめた拳に力をこめてカウンセリングが終わるまで緩めることはなかった。 カウンセリングとは言っても、ゆかりは何も話さないので、三野田がただゆっくり待っているだけだ。 そして時折り質問もする。 話さなくても身体の反応で彼女の気持ちを推察できることもあった。 彼女が話せるようになるまで、話す準備が整うまで待つしかない。 そして信頼関係を築くしかない。 ゆかりは何も話さないまま、そして三野田はその様子を見守り、30分のカウンセリングは終了した。 「ゆかりちゃん、またね。」 そう声をかけるとゆかりはやはり俯いたまま立ち上がった。 担当職員に促され部屋を出て行くゆかりの背中を三野田は静かに見送った。 三野田は彼女が座っていたソファを見つめてしばらく考え込んだ。 新井ゆかり。 彼女には弟がいた。 ゆかりの2つ下の6歳。 小学校入学を控えていた彼は、 入学式前日の4月5日に自宅で死んでいるのが発見された。 彼の首は未だ見つかっていない。 首がないだけでなく、原型を留めていないほど身体の至るところを滅多刺しにされた、ベテラン刑事でも吐き気を催すほどの死体だったそうだ。 わずか6歳の子のその残忍な殺され方は影響力が大きいとして詳細は伏せられて報じられたものの、週刊誌が嗅ぎつくのにそう多くの時間はかからなかった。 ゆかりの母親は今も意識不明の重体だ。 彼女も同じく滅多刺しにされていたが、幸いにもと言うべきなのか一命は取り留めた。 父親の行方はわかっていない。 外部からの侵入の形跡は見られず、警察は父親を重要参考人として未だ行方を追っており、進展はない状況だ。 この事件の目撃者と考えられているのが新井ゆかりだ。
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