序章:キイロイサカナ

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「どうしたの、環?」  明るい茶髪の髪を短く揃え、厭らしく見えないのは持って生まれた風格か。 どんなだらしなく襟元が開いた服を着ようとも様になり、ワイシャツなど着れば無敵だった。柳井悠生(やない ゆうせい)という男はそんな男だった。 人気があり、一目置かれる。何をする訳でもないのに彼の周りには多くの物と人が居た。 その中での自分の存在は、なるべく数えない様に心掛けている。 「クラリオン・エンゼル気に入った?」  自分のものとは違い、節がくっきり浮かび上がる指が水槽のガラスを叩き、僅かな振動が伝わったのか、南の島国を連想させる魚達は一斉に散った。 どれがその、何とかエンゼルか区別がつく筈も無く、悠生の瞳に映っているものと自分のものが違うのかさえ思わせる。 「それってどれ?」 「黄色と青い縞模様のやつ」  指先から逃れる様に泳いでいく個体に、漸く名前が合致する。クラリオン・エンゼル。もう忘れないだろう。 魚の他にも、悠生の趣味は多岐に渡り、彼の世界はあまりにも広く、手狭な環の世界からしてみれば彼の世界は目映いものだ。  悠生が好きならば、習って同じものを好きになろうと努力した事もあったが、環が興味を向けるスピードよりも彼の興味関心が移動するスピードの方が早い。 同じ物を、同じだけ。好きになろうとするのは諦めた。 けれど、せめて好きだと教えてくれた物の名前だけは憶えておこうと、そう決めて。 「でも、なんだか目がチカチカする。もっと大人しい色のは居ないの?」  水槽の中には水草や隠れ蓑の岩や置物が沈められてはいるが、それすら意味を成さない程に水槽の中は明るい。 流石に環が知る様な一般的な魚を入れるのはどうかと思うが、もっと優しい色の魚は居ないものか。どれも自己主張が激し過ぎる。 「面白い事を言うね。そこが俺と環の違いなのかもしれないけど」 悠生の手が、肩へと回り距離が詰まる。当人の意思などもう、そこにはなく、鼓動だけが早く内側から叩いて息苦しい。  そんな状態を見透かしているのか、悠生はおかしそうに喉を鳴らした。
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