第1章

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内村は、最終種目の前には0.9差だったが、基礎点では0.6上回っていたから、実質的には0.3差だったのだが、同じ実施点=美しさと基本動作の正確な再現の部分で、同じ内容なら負ける。 内村は、それを最大限やり切って勝った。 相手が着地で前に出て0.1の減点、体勢の崩れで0.1の減点?があり、演技途中に腕が伸びきっていなかったり、姿勢が乱れていたりした細かい部分で0.1以上の減点があって、結果は辛勝した。 内村は、自分の出来る最大限の事をして、負けたら仕方がないと考えていたという。 勝利後のインタビューで、内村に『貴方は審判に好かれているのでは?』という失礼な質問に、負けた相手が反論したという。 内村は、彼を評価して、次は負けると言っていたが、これは真の王者の心からの言葉だろう。 対してリメールは、原沢の憮然とした表情を見れば、言わずもがな。 リメールもかっては見事な技で勝って来ていたが、原沢との一戦での姿は、かっての自分にも恥ずかしくなかったのか。 正々堂々と戦って、辛勝した後に、自分の時代は終わるだろうと言った内村。 柔道をせずにルールを上手く利用して勝ち、誇らしげに王者をアピールしたリメール。 現在の日本にも、リメールを肯定する人達は沢山いるかも知れない。 しかし、かって引き分けがあった時代に、必死で引き分けを求めた人達は、リメールを肯定はしないと俺は信じる。 何故なら、その人達は、確実に柔道はしていて、その中でチームの為に、必死に腰を引き、俺のような人間からは勝ちを得ていたからだ。 そして、この引き分けを求める戦い方は、当時の我々には当たり前の戦術としての共通認識があった。 引き分けを求める試合内容は、個人的には卑怯とも不細工とも見える。 しかし、チームの為にそれをするのも又、負の美学なのだ。 美学を求めて、結果が出なかったらナンセンスと言われても、俺はやはり美学を追求したい。 そして、内村とリメールの両方を凄いと思った人の中で、結果だけで判断するのでは無く、美学を求めた内村に共感する人が増えて欲しい。
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