夏なんてなくなればいいのに

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『手が足りねえ! まだなのか! これ以上は無理だぞ!』  上がった息も無視してインカムに向かって怒鳴りつけながら、大歯型の赤みを帯びたノコギリクワガタの牙を打ち上げて、顔を上げさせる。反動を勢いにして、すかさずもう一撃。正確に首の付け根を捉えた。周囲では隊員が他の虫を牽制しており、タイミングを合わせて駆け寄って来るのは一人だけだ。タクマが挟み込むように大剣を反対側から叩きつけ虫の首をもぎ取る。  一匹を沈黙させたその背後、数人で多方向から牽制しミヤマクワガタの意識を引いていた隊員たちの頭上に、黒い塊が落下した。メスのヤマトカブトムシ。光沢ある腹は、先ほどまでそこに立っていたはずの仲間の暗く赤い色で染まっている。  その光景に気を取られたのは俺だけではなかった。騒々しい羽音の中に甲高い悲鳴が混じる。視線を振った先、牽制していたミヤマクワガタの牙に引っ掛けられ、顎先で摘まむように持ち上げられた隊員が高く掲げられる。助けに走り出す間もない。体は内臓までまとめて引きちぎられ、胴から上は壁の下に転がり落ちて行った。残った下半身も、メスのカブトムシに頭を向ける際に、無造作に踏みつぶされる。  今朝、少年に踏みつぶされたミヤマクワガタの姿が脳裏をよぎった。 『ケンジ! 後ろ!』  タクマの声に突き動かされ駆け出す。背後を豪風が突き抜けた。突き上げるように一本、振り下ろすように二本、三本の角を有する巨大なカブトムシが、飛び降りてきたところだった。 「コーカサスオオカブトか! こんなのも居るのかよ!」  悲鳴にも近い叫びを上げると、通信士からやっと応答が返って来る。 『第二十八駆除隊へ。誘導は充分と判断します。一度現場を放棄しますので撤退してください』 『了解!』  続く愚痴を飲み込んで、通信の内容に心中で安堵する。  目の前では、ミヤマクワガタがヤマトカブトムシを威嚇するように牙を振り上げている。その横ではコーカサスオオカブトが三本の角でオオクワガタを拾い上げようとしていた。  あたり一面虫だらけだ。どいつもこいつも好戦的に眼前の虫どうしで頭を突き合わせている。  すぐに退避ルートを脳内に描いて、インカムに向かって怒鳴る。 『聞いたな! 全力で逃げるぞ! 俺に続け!』  人工の白い壁よりも虫の巨体が視界を占める中で、退路を切り開くために先陣を切って走り出す。
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