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昔はよかった、よき時代だったなんて話を聞くが、わし=治彦少年にとっては悪い時代だった。
世の中は今よりも貧しかった。そして地方には仕事がなく、貧しい村や町が多かった。ここから遠い、治彦少年の生まれ育った村はそれにもれず貧乏だった。父さんは失業したあと働きもせず、昼から酒を飲み、少ない家のお金を賭け事に費やしていた。母さんは、その借金の工面で大忙し。
今の秋信ぐらいの年齢だったある日のこと、賭け事に大負けし、酔った父さんが家に帰ってきた。
「父さん、また酔っているの」
母さんは諦めたような口ぶりで言った。
「うるせえ。これが酔わずにいられるかってんだ」
そう言って父さんは繕い物をしている母さんを見た。そして視線はその横の裁縫箱に注がれた。
「なんだお前。その袋」
「それは」
母さんの言葉を無視して父さんは乱暴に裁縫箱をひっくり返した。落ちる針に糸、ハサミ。落ちてきた中に赤茶色の巾着が含まれていた。父さんが開けると中にはお札が入っていた。それは母さんのへそくりだった。
「おい、お前。金ならあるじゃねえか。出し渋りしやがって」
父さんはお札を数えた。
「やめて。それは借金に充てるお金よ。それに治彦に着るものも買ってあげたいし……」
「俺が倍にして返してやるよ」
お札をひらひら振って父さんは言った。
「ねえ、父さん。そのお金だけはやめて」
母さんは父さんの肩を掴んだ。
「せめて月末まで待って。そうすれば内職のお金が――」
バチン、大きな音が部屋に響いた。父さんが母さんの頬を叩いたのだった。父さんが暴力を振るうなんて日常茶飯事だった。
「うるせえ。亭主の俺に口出しするんじゃねえ」
そう言って母さんを足蹴にした。
しかしこの日はいつもと違った。
「だいたいお前はいつもいつも俺に口出ししやがって。亭主の言うことがきけないのか」
続く罵倒と暴力。とうとう首を絞めだした。
「お前が居なくなればくいぶちが減るんだ」
今思えば母さんが働いた金で父さんは生活していたわけだから、母さんが死んだら父さんは困るわけで。でもその時の父さんは酔っていたからなのか、頭に血がのぼっていたからなのか、支離滅裂なことを言って母さんの首を絞め続けた。
「やめ……て」
終わらない暴力。いつもと違う光景。
母さんは僕の方に手を伸ばした。
このままでは母さんが死ぬ。
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