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「……あの時」
湯の落ちる音に低い声が重なり、結月は視線だけを上げ、長い足を優雅に組むその主を捉えた。
「なに?」
「あの夜、お前は特に顔を隠してもいなかった。平気なのか?」
「ああ、おれ、自分の影の薄さ調整できるし。会場の人も薄ぼんやりとしか覚えてないと思うよ。もっとも、思い出す必要もないだろうけど」
「ターゲットは無理だろう」
「それはね、『消す』の。つっても、完全に記憶をなくすんじゃなくて、顔とか声とか、おれを特定するような情報だけに波長を合わせて『消す』。だからあの坊ちゃんも、誰かと気持ちーいひと晩を過ごした記憶は残ってても、相手はどんな人物だったのかは一切思い出せないだろうね」
「……そんな事が出来るのか?」
訝しむ声に、結月は微笑みながらドリップバッグを捨て、自分のマグにも湯を注ぐ。
「タネも仕掛けも企業秘密。おれがこうして仕事を続けられているのが、唯一の証拠かな」
「先天性の特殊能力ではないのか」
「残念ながら、後天的な会得技術だよ」
結月は親を知らない。知りたいと思ったこともなかった。
物心ついた時から『師匠』が唯一であり、またその『師匠』も、結月を唯一として扱ってくれたからだ。
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