報告一 ワイルド刑事と童貞刑事

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「桂奈さ~ん。……桂奈さんってば!」  ヒラヒラと、なにかが目の前を舞う。  ハッとして――桂奈は意識を現実に戻した。  斜め向かいの席の水口一太(みずぐちいちた)が手を伸ばし、桂奈の顔のすぐ前で書類を振っていた。 「なにボーッとしてんですか? 交通課の佐田さんの送別会の出欠確認、回ってきましたよ」  はい。と、一太が書類を桂奈に手渡す。桂奈は少し呆けたまま、無言で受け取った。 (ヤバッ、完全にボーッとしてた)  桂奈は小さく頭を振った。それから、ニヤけていたかもしれない頬を軽く叩く。 「交通課の佐田って……桂奈の同期じゃなかったか?」  隣の席の晃司が、桂奈ではなく晃司の向かいの一太に訊く。  一太はチラッと桂奈を見て、ヒヒヒ、とねずみ小僧のように笑った。 「そうですよ。その佐田さんが寿退職だから……桂奈さん、ショックで落ち込んでんですか?」  一太は大輔の一学年先輩だ。生安課も大輔より一年長い。  桂奈は、一太の失礼なセリフに慌てる大輔と、大輔の先輩である一太を見比べた。 (大輔くんの足元にも及ばない……)  一太は、小動物を思わせる男だ。おそらく身長体重ともに、S県警採用基準のギリギリだろう。黒目がちの丸い目がよく動き、ネズミかハムスターを連想させる。 (ブサイクではないんだけど……)  桂奈は眉間に皺を寄せた。 (大輔くんの色気の半分……四分の一もないんだよねぇ……。こいつこそ……)  童貞――ではないか、と桂奈は睨んでいる。それも桂奈が毛嫌いする、『素人』童貞ではないか、と。 (……ないわぁ……)  童貞でも、ここまでガキっぽいとまったく興味を持てなかった。  桂奈はフンと鼻を鳴らした。 「はい、一太くん、それセクハラね。今から総務に報告するから」 「えー! 桂奈さん、今日は厳しいっすよ!」  一太が慌てて、大輔が破顔する。そんな笑顔さえ、大輔は一太が持たない色気を醸し出す。  桂奈は、隣の晃司をチラリと見た。大輔に恋愛感情を持たない桂奈がこんな風に感じるのだから、大輔を愛しく思う晃司はたまらないだろう。  晃司は、桂奈の野次馬な視線に敏感に気づいた。 「……なんだよ」  低い声で威圧された。一太や大輔なら怯えたかもしれないが、桂奈は動揺しなかった。
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