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「無理無理無理無理無理無理無理無理無理!」
それだけは無理だった。
焦げ茶色をしたそいつは触覚を動かすと、機敏に移動を開始する。
「あああいいいいなくなっちゃう!いなくなっちゃう!!」
外に追い出したいがこちら側には来て欲しくないし、追い掛けて叩き潰す度胸もないし、私はひたすらに、不法侵入優男にしがみつくことしか出来なかった。
さっきタンスを倒したからだ。そこから出て来たに違いない。
これだから夏は!夏なんてなくなればいいのに!!
突然、焦げ茶色のそれは軌道を変え、私たちの方へカサカサと近寄って来た。
「来てる来てる来てる来てる来てる」
もうダメだ、気を失いそう。
ふっと、優男の良い香りが鼻を掠めた瞬間、ゴトッともバキッともつかないような音が、辺り一面に響いた。
何事かと驚き、いや焦げ茶色のそれの出現よりは驚かないが、恐る恐る視線を床へ落とすと、奴がいた場所に一冊の分厚い単行本が置かれていた。
ま、まさか。
その本で、叩き潰したのか。
今も尚しがみついている優男の顔を覗き込むと、心臓が跳ね上がった。
めちゃくちゃイケメンだったのだ。
さらりと流れた黒い髪に掛かる右の目元に、泣きボクロが横にふたつ並んでいるのが印象的だった。
間近で視線が重なると、優男は優しく、私に微笑みをくれる。
「もう大丈夫です。やっつけましたよ」
何て、麗しいの。
何かが始まる予感がする、そんな淡いときめきをくれた夏に、今ばかりは感謝するしかない。
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