序章

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 成立困難な理想論。 「残念ながら、俺は普通の人間だからな。クリスマスもバレンタインも興味があるし、正月は近くの  神社にも御参りに行く。牛や豚だって食うし、般若心経を読みながら座禅も組む」 「…………」 「ふふふ。それでも内心では自然が凄いという自然崇拝が自分に一番合ってると思う。全く、日本人で良かったと思うよ」  日本人の宗教観は幅が広い。良く言えば懐が広く、悪く言えば節操がない。異文化を理解しようと努め、生活や文化の中に溶け込ませ、自分たちに合う形で異世界を馴染ませていく。  例えば、茶道。  室町時代、千利休が創始した茶道の作法にある茶器を回して飲む概念は、当時流行していたキリスト教の思想を取り入れたという説があるほど。宣教師達の瞳には、つましい島国根性の集団の珍妙なティーセレモニーが、さぞ奇妙な光景に映ったに違いない。 「まあ、熱心な信者もいるらしいけどね。でも、俺には正直そこまでの興味が湧かん。ぶっちゃけ宗教みたいな曖昧なものに時間を割くと、俺の生活が経済的に成り立たない」  聞く人が聞けば、きっと激怒する信仰観。  なにせ、今はバーミヤンの磨崖仏すら爆破してしまう物騒な時代だ。 「……なにか情緒の欠片も無いような気がします」 「ん、京都観光は大好きだよ。古寺巡礼、温故知新。古い名所を訪れるのも良いが、俺は、今も昔もその場所を守り続けてくれる人間がいるのだと感じると、それだけでも結構気分が良い」 「あ、それは同意します」 「おお嬉しいね。我ながら親父譲りの爺臭い趣味だが、こんな山奥で同好の士に出会うとはね」 狭い車内で、私達はクスクスと笑い合う。
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