序章

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《 1 》  二〇〇四年、晩秋。  当時、私は浪人生。中国地方にある小都市の予備校に通っていた。  十九歳の時分、灰色の高校時代を過ごした私は、浪人などというどの社会カーストにも属さないなんとも宙ぶらりんな身分は人生初の自由な時間というものを私に与えてくれたと言っていい。 将来の事なんて知ったことか、それより世の中には自分の知らない世界で溢れているのだと、夏休みを利用して全国でも珍しい招き猫の博物館やら地底湖で有名な山奥の鍾乳洞、鉄さびにしずんで昭和の匂いを振り切れないまま静かに消えようとする鉄道沿線の町々などをぶらりぶらりと途中下車し楽しんでいた。  春、予備校が始まった頃には真面目に通っていた若者は、じきに、漠然と『浪人生は予備校に通う存在』という固定観念に飽きてしまい、初夏の風が吹くには、立派な馬鹿者へと変貌を遂げてしまったわけだ。  なんとも親泣かせな小旅行ではあったが、バスや電車を利用して行われるこの背徳的な冒険は、私の芽生え始めた幼い放浪癖を満足させるには十分だった。    この物語も、最初はそんな他愛のない好奇心から始まった。  全ては、些細な思いつき。  何かの折に聞いた『小さな町』の『大きな天文台』の話題。  兵庫県南西部、その山の中に置かれた国内最大級の天体望遠鏡。その時の私は、その奇妙な不釣り合いさに惹かれたと言っていい。  正直な話、間近に迫ってくるセンター試験の足音はそこそこ感じてはいた。どんなに気取っても、小旅行などただの現実逃避以外の何物でもなく、同じ予備校仲間が追い込みをかける中、夏をサボり通した私には九月模試に期待できる結果など出ようはずもない。  黄道十二星座すら怪ぶむ程度の知識しかなく、どこかに別の場所に逃げ出したい気持ちと、あまり世間様の前に出られない自分の現状とのせめぎ合いの結果、その町の天文台に行くことを選んだのだと思う。
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