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兄のミツクラが祝言を挙げることになった。タクラは祝言の前に村を出ることにした。
村に住む者にとって、村は世界の全てであり、そこから出る事は死を意味していた。
タクラの村では、長子が家を継ぎ、全ての財を受け取る慣わしだった。産まれた子供全てに分け与えるほどの土地も財物も無かった。長子が十分な年齢に達した後、それより下の者は小作として働くか、奴隷のような扱いで他家や村の手伝いをするしか無かった。
ただし、恐れを知らない愚か者には、村を出るという選択肢もあった。大獣の森を抜けた先、北の果てにはミヤコと呼ばれる場所があり、人々が豊かに暮らしているという。ミヤコを目指して村を出る事を、旅に出る、と言い慣わしていた。旅に出た者はいるが、帰ってきた者はいない。ミヤコで幸せに暮らしているか、さもなくば道半ばで屍を晒しているのだという。
タクラはそんな言い伝えなど信じていなかった。旅に出た者は皆、死んだのだろう。だが、人が生きる場所はここしかないのだろうか? ミヤコなどというのは作り話にしても、人が生きる場所は他にもあるのではないか? 村の誰も想像すらしていない事だ。だが、タクラには村の外への思いが強くあった。
幼い頃の事だ。珍しく手に入ったクアの果実を、父に隠れてミツクラが食べてしまった事がある。父の弟、タクラの叔父にあたるヒセイは、それをタクラの仕業だと父に讒言した。父とミツクラの両方に媚びを売ったのだ。
父はタクラを殴りつけた。何を言っても無駄なのは分かっていたので、黙って耐えた。
「よく伝えてくれた」と父からの言葉を得たヒセイは、「子供のする事ですから」と庇うようなそぶりを見せた。だが、その顔に薄笑いを浮かべているのをタクラは見た。暗く、浅ましい表情だった。
タクラは絶望した。父の暴力にでも、ヒセイの嘘にでもない。弟という立場に産まれた、己の未来の姿をヒセイに見たからだ。家も、私財も持てずに卑屈になる。そして、幼い者を陥れてでも己が利を図るような卑劣な精神に成り果ててしまう。
俺はあのようには生きたくない! タクラの心に、ここでは無いどこかで生きる事への想いが芽生えた。その想いは年を経るにつれ強くなっていった。
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