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「今日、着替えなどを私が取りに伺いますので、準備をしておいて貰ってもいいでしょうか」
「わかりました……あの」
「はい?」
「ひさ、専務は今どこにいらっしゃるんですか?」
久志が数日帰宅できないのはわかった。
一緒にいる相手のことはとても気になるが、プライベートのことを根掘り葉掘り聞くのは憚られる。だが、どこにいるのくらいは聞いてもいいだろう。
「それは……」
いつもはっきりとものを言う芹澤が珍しく言葉を濁している。余程、夏樹に言いにくいことなのだろうか。
夏樹の頭の中に『浮気』の二文字が浮かび上がる。夏樹は頭の中に浮かんだ文字を振り切るようにふるふると頭を振った。
「松本くん? どうかしましたか?」
「や、いえ……何でもありません」
だが、頭を振ったくらいで一旦浮かんだ疑惑がそう簡単に消えてなくなるわけでもなく、夏樹は芹澤から目を背けた。
実際の所、久志は浮気などしていない。夏樹専用着ぐるみの製作に久志がこだわるあまり、野添のところを離れられなくなっているだけだ。
「あ、言えないならいいです。ちょっと気になっただけなので」
「すみません。隠すつもりはないんですが、専務から口止めされておりますので」
申し訳なさそうに言う芹澤に、夏樹は精一杯の笑顔で大丈夫ですよと明るく答えた。
「まあ、しばらくしたら落ち着くと……あ、すみません。電話です」
ふいに聞こえた着信音に、芹澤がスーツの内ポケットから携帯を取り出した。
「はい……専務ですか? 何をやってるんですか、予定より一時間遅れてるんですよ。今さらあなたが夢中になるのを私は止めませんが、仕事に支障をきたすのは感心しません。早く戻ってください……は? ファスナーが壊れた?」
一応、声は潜めているが、夏樹のすぐ隣で電話の受け答えをしているため芹澤の声がしっかりと聞こえてしまう。
「何やってるんですか……また、可愛らしいからって勢い余って乱暴に扱ったんじゃないんですか?」
電話の向こうにいる久志に、呆れたような声で告げる芹澤のため息が聞こえ、夏樹は思わずびくりと肩を揺らしてしまった。
「わかりました。あと三十分待ってあげますから、きちんと片付けてからいらしてください。あんな人でも、一応有能な方ですので失礼にならないようにしてくださいよ」
それからしばらく久志とやり取りをして、芹澤は携帯をスーツのポケットにしまった。
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