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「まあ、事件性はないようですし、松本くんの具合も大丈夫なようで良かったですが」
穴があったら入りたい、というのはこういうことを言うのだろう。昔の人はよく言ったものだと夏樹は身に染みて実感した。
好きな人のシャツを被って喜ぶだなんて。こんなこと普段の久志の変態行為と大差ないではないか。
思いかけず恥ずかしいところを知られてしまって、芹澤に顔向けができない。夏樹は膝の上に乗せた白いシャツを見つめたまま、小柄な体をもっと小さくした。
「松本くん」
「は、い」
「顔をあげてください。あなたが久志さんのシャツを頭から被って喜んでいたことくらい、私は何とも思っていませんから」
確かに事実ではあるが、もうちょっとオブラートに包んだ言い方はできないものか。
「あなたがしたことなんて、まだ可愛いものです。世の中にはもっと変態的行為を好んでする人を私は複数知っています――誰とは言いませんが」
「芹澤さん」
「ですから松本くんが久志さんのシャツを被って、あらぬ妄想に耽ったところで大した問題ではありませんよ」
ね?と芹澤が微笑む。
落ち込む夏樹のことを元気づけようとしての言葉なのだろうが、身も蓋もなさすぎる。
それでも優しい上司が、夏樹が気に病まないよう気をつかってくれているのは痛いほどわかる。芹澤からの励ましに、夏樹はただ笑って応えた。
「それではそろそろ出ますね。着替えはこのスーツケースでいいですか?」
「あ、はい。一応、五日分用意しておきました」
「わかりました。それで大丈夫だと思います」
スーツケースを手にした芹澤が玄関へ移動する。夏樹もその後に続いた。
「せっかくこちらの家に移動したのに、放ってばかりですみません。久志さんには私からも言っておきますから」
「芹澤さん、シャツのことは……」
「大丈夫。心配いりませんよ」
シャツの件は言わないでいてくれるようだ。
「出張の日程は山路から聞いていますね? 心配はないかと思いますが、知らない人にはついていかないように。それと家にいる時も鍵はきちんとかけて、あとは……」
「芹澤さん、俺こう見えても立派な大人ですから」
芹澤からも山路と同じようなことを言われてしまった。夏樹が童顔だから余計に心配されてしまうのだろう。少しでも頼もしく見えるようにと、夏樹がピンと背筋を伸ばす。
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