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「青嶋さん、そろそろよろしいですか?」
「あ、ああ……そうだね。そっ、それじゃあ松本くん、急いでいる所悪かった。私はここで失礼するよ」
「……はあ」
すでに男――紺野の呪いがかかってしまっていたのだろうか。青嶋は若干青ざめた様子で、あたふたとその場を後にした。
とりあえず助かった。自分の初めてがタヌキに奪われなかったことに安堵した夏樹は、青嶋の姿が見えなくなると、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」
「はい、すみません。突然ご迷惑をおかけしました」
立ち上がろうとする夏樹に紺野が手を貸す。
「迷惑だとは思っていない。それより、なかなか印象的な告白だった」
「――え?」
「安心しなさい。私は性別にこだわる方ではないから。君の気持ちに応えようじゃないか、夏樹」
「――は?」
それまで無表情だった紺野が、メタルフレームの眼鏡の奥で僅かに目を細める。
確かに夏樹は男性にしか恋愛感情を持つことができない。
だからと言って、通りすがりの男性にいきなり告白するような大胆な性格でもない。
紺野の盛大な勘違いに気を取られ、なぜ彼が夏樹の名前を知っていたのかという疑問はどこかへ行ってしまった。
「あのっ、俺があなたと付き合うっていうのは……んっ」
違うんです。という夏樹の言葉は紺野の唇にあっさりと奪われてしまった。
※※※※※
「ねえ、修一……俺もう帰ってもいいかなあ、ていうか帰りたい」
「バカなこと言ってんじゃないよ。ほら、一昨日お前が見たいって言ってたカタログ」
「うん。ありがと」
夏樹は修一から新商品のカタログを受けとると、やる気なさそうに机に肘をつき、受け取ったカタログを捲った。
高校の時からの腐れ縁であるこの小柄な同僚、今朝、出社した時からどうも様子がおかしい。
スーツ姿が、まるで七五三詣でのためによそゆきの洋服を着せられた子供のような印象を与えるが、仕事ぶりはいたって真面目だ。
そんな夏樹が冗談とはいえ、仕事半ばに帰りたいと言い出すだなんて何かあったに違いない。
「夏樹。お前、昨日は確か桜が丘学院から直帰だったよな」
「……っえ? ああ……うん。そうだけど、何?」
「いや、別に」
「あ、そう…………っあ! このリングファイルいいな。四穴で書類もずれないし、背表紙も見やすいよ。ねえ、そう思わない? 修一」
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