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「わたし、旦那さんに抱きしめられたい」
誰に指摘されても言わなかったのに、自分を好いてくれた人の前でわたしは初めて本音を口にした。
「あたしはトモのお嫁さんになりたい」
ふたり、天井を見つめて電車の音を聞いた。
ことん、ことん。
ことん。
冷房のぶんという音。
母のお腹の中は、こんな音だったろうか。
「お互い、難儀な旅だね」
わたしが言うと、
「いまに始まったことじゃないもん」
ちぃは大きくため息をついた。
今年の誕生日プレゼントは金券でいいよと言われたとき、彼女はどう思っただろう。
出会ってから十五年になる。
一体いつからだったのかと思いをめぐらせていくと、こんなにわたしを抱きしめようとしてくれる人の前でなら、こちら側とか、あちら側とか関係なく、自分の側にいたままで、わたしは裸になれる気がした。
「こっち側にいたままでもいいの?」
わたしは身体を起こし、ちぃの首に腕を回したまま彼女に覆いかぶさった。
ちぃは始めてわたしから挑まれて困惑しているようだった。
息が重なる。
「わたしはずっとこっち側にいるかもしれないし、こんな格好のまま、ちぃと手をつないで歩くかもしれないよ」
くちびるが触れそうな距離で聞く。
ことんという、列車の音。
近くで聞くと怖いのに、遠くからだと優しく聞こえる音。
「それでもいいよ」
ちぃは驚きを引っ込め、頬をゆるめて言った。
目の前にあるのに、もだえそうなほど優しい声だった。
抱きしめられたさではない、もっと主体的な感情が、自分の中で燃え上がる。
「よろしく」
わたしは口づけでちぃの言葉を封じ、じらすように少しの間、視線をからめてから、緊張でこわばる身体を両腕で抱きしめた。
厚生労働省も抱きしめられたさも、遠く列車の音の響く中にすべて溶けて見えなくなってしまった。
今年の彼女の誕生日には、目いっぱい頭をひねらないといけないらしい。
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