3人が本棚に入れています
本棚に追加
「トモはどう思うの?」
わたしが考え込んでいると、せっかちなちぃが口を開いた。
「もうすぐあたしたち、三十六だよ」
「わたしは先月誕生日」
「やっとしゃべった」
「あんたがしゃべらせたんでしょ」
先月の十八日に、三十六になったお祝いという名目で、ネットショップの金券をちぃから頂戴している。
お互いの誕生日プレゼントはもはや選び尽くしてしまったという理由で、わたしから提案した金券だ。
その金券も、とっくにコミックの大人買いで使い果たしてしまった。
「どこでするの?」
わたしはそう言って、ぬるくなったロイヤルミルクティーを流し込んだ。
話がひと足飛びで進んだのに驚き、ちぃは目をぱちくりさせた。
「家なの? 外なの?」
ほおづえをついてわたしが聞くと、
「家にしましょう」
ちぃは急に背筋を伸ばして改まった。
自分で提案したくせに、こころなしか頬が赤い。
いまの会社ではクールな姐さんで通っているのだとちぃは言うが、プライベートでは見る影もない。
「どっちの家?」
わたしは言いながら伝票を手に取り、頭の中で割り勘の計算をした。
折半にするとわたしが彼女のシーザーサラダの料金まで払うことになるが、毎度のことだ。
「あたしの家で」
ちぃは消え入りそうな声で言った。
消え入った先に、お願いしますが口の動きだけで付け足されたような気がした。
抱きしめられたさが前日の平均値ではなく、直近の数値を示していたら、この瞬間に跳ね上がっていただろう。
「これで払っておいて」
わたしは折半よりも多めの三千円をちぃに手渡すと、そそくさと化粧室に向かった。
鏡の前で髪の毛を直し、うなじの汗をふく。
緊張しているのは彼女だけではない。
彼女を不安にしないために、必死に緊張を隠している。
三十六になってもこんな感情が湧くのかと、自分でも驚いてしまった。
さんざん女磨きに精を出してきたつもりだったが、鏡の中のわたしはたいして美しくない。
その顔が女性のちぃと抱きしめ合うことになるのだから、人生の旅はどうなるか分からない。
自分の決断を悔いる気持ちもあったが、返事をしてしまった以上、わたしは足を踏み出そうとこころを決めた。
鏡の前で息を整え、わたしは化粧室を後にした。
レジ前にちぃの姿はなかった。
店のガラス扉をへだてて、台風一過のまぶしい日差しの中に、ちぃが後ろ向きでうつむいているのが見えた。
最初のコメントを投稿しよう!