ビハインド・ザ・マスクあるいはアブサンの濃碧色の悪夢

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 あらためて思うに、一度待てと言われたら車が盗まれようともひたすら待ち続けられることが、総務部役員付運転手に課せられた一方の義務であったらしい。そうしてみると、二十六歳で中途採用され、桐谷常務のベントレーのハンドルを握り続けた圭一の三年間は、もう片方の 義務しか果たしていなかったことになる。サーフィンの好きな鷹揚な性格だった桐谷常務を五分で迎えに行ける場所を流していれば良かった日々は、欠員の出た唐木会長の運転手に指名されたことで完全に終わりを告げた。多忙であればこそ猫の目のように変わる予定と、猫のように気まぐれな唐木会長の運転手は、噂に聞いていた通り、入院しない限り唐木の足としてひたすら消費されるらしい。手当が倍増されたとはいえ、昨日まではひどく自由だったのだと今更ながら懐かしく感じられる。  圭一は、硬いシートに身を沈めたまま、最後の溜息をついた。  溜息とほぼ同時に、ダッシュボードに投げ出された携帯電話が振動した。ワンコールで一方的に切った相手は秘書だった。打ち合わせた通り、ワンコールの直後にエレベーターが動き出した。エレベーターホール脇でちかちかと光る大きなデジタルの数字が五階を表 示している。
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