ビハインド・ザ・マスクあるいはアブサンの濃碧色の悪夢

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 エレベーターは五階をしばし眠たげに明滅させた後、今度はいかにも重そうに下り始めた。東京駅や有楽町駅へは地下一階のコンコースが連絡しているが、講演が終了して一時間半が経過した今、地下一階で降りる利用者はほとんどいないらしく、エレベーターは同乗者の体重に重力を加えつつ、あっという間に地下三階へ到達した。  エレベーターが停まり、扉が開くと同時に、軽装に着替えた唐木が、ジャガーの足回りよりも柔らかそうな銀髪をかき上げ、取り巻きたちと談笑しながら、悠然と駐車場へ降り立つのが見えた。最後に降りた秘書が、アップにまとめた髪を指先で直しつつ目配せをした。一瞬、秘書が軽蔑しきった目を会長の取り巻きたちの背中へ注いだように見えたが、圭一は構わずゆっくりと発進させた。会長や取り巻きたちの目を盗んでハンドバッグから携帯電話や手鏡を出したり入れたりするのは彼女の特権であるべきであり、会長付秘書の面目が保たれる範囲でなら、運転手にこっそりワンコールの合図を送ろうが誰を軽蔑しようが、あるいは目尻の皺が増えたり減ったりしようが、それは彼女の勝手だ。  唐木の歓心を買いたい一心で地下駐車場まで着いてきた取り巻きたちの中には、圭一にも見覚えのある者が混じっていた。テレビだったか週刊誌だったか、圭一が死ぬまで働いても掴むことのできないであろう額の金銭を脱税したとかしないとか、そんな話題だったようだが、なにしろ数ヶ月前のことでもあり、はっきりとは思い出せなかった。ただ、その人物は集団の外側に押し出されていて、もっとも頼りなげに見えてしまうのだから、他の取り巻きたちは、さぞかしかなりの社会的地位に身を置いているに違いない。けれども、狸や狐が網に捕らえられ、ひしめき合い、結索された出口へ殺到しているようにしか見えなかった。さしずめ唐木会長の気まぐれな寵愛がその出口になるのだろうか。どのみちおれには関係ないが、と圭一は思う。  唐木が「きみたち、いい加減に私を解放してくれないか。お迎えが来たようだから」と苦笑しながら言ったのが圭一の耳にも届けられた。圭一が開けたドアに乗りこもうとする会長を、引き止める声と見送る声が次々に折り重なるのを圭一は直立不動の姿勢で聞いた。もちろん目線は昨日カードで買ったリーガルの革靴の尖ったつま先あたりに落としたままだった。
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