第1章 人間界~逢澤颯人~

2/10
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/23ページ
狭いアパートの一室で、一心にパソコンと向き合う一つの影。 座布団の上で胡座をかきながら、テーブルに置かれたパソコンと格闘をし続けている。 ……かれこれ三時間は経っているだろうか。 肩まである茶髪を鬱陶しそうに後ろへと束ね、青年は盛大に溜め息を漏らす。 ……世間一般でいうところの、職業は大学生。 レポートという名の課題の山を淡々とこなすだけで、遊びに興じる華やかな大学生とは程遠い。 茶髪やピアスといった風貌から、青年は大抵、大学生活を謳歌する勝ち組として見られやすいが、これもある意味現実から逃避する為のハッタリにすぎない。 見た目だけは遊んでいたいという、涙ながらの心の声を反映しているに過ぎないのだ。 「(あー、あと少しか)」 照明に照らされたつり目がちな瞳が、安堵感からほんの少しだけ緩む。 屈強な肩をゴキゴキと鳴らし、本日何度目かのストレッチをと思い、軽く座ったままで伸びをした。 関節がミシミシと音を立て、凝り固まった筋肉を解していく。 ……あとは最終チェックのみだ。 言葉の言い回し、きちんと裏付けが成された論文か、再度見直して推敲する。 最初から見直そうとマウスをスライドさせると、一番上には論文のタイトルと、『逢澤 颯人』という名前。 そう、それが青年の名前。 「(これを提出すれば、しばらくは遊べるかな)」 教授の無茶ブリがなければ、という言葉は瞬時にデリート。 今この時だけは、明るい未来を創造しておきたいのだ。 ……『順風満帆』という言葉は、逢澤颯人が最も好む四字熟語である。 そのために、名門といわれる大学に進学し、成績だって賞を貰えるほど優秀であった。 提出物の期限は守るし、遅刻だってしない。 全ては、『平穏無事な一生を遂げる』という、彼の人生においての最終目標に向けての行動である。 そして彼は今のところ、まさしく『順風満帆』にその目標に向けて歩み続けていた。 ……そう、今のところ、だ。 「…………ん?」 コンコン、と。 こちらを窺うようなノックの音。 友人だろうかと思いかけて、不自然なことに気付く。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!