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酔っぱらいの振りをした素面なふたりが店を後にし、だんだんと二丁目の「らしさ」を醸し出す薄暗い細い路地へとその足を進める。互いの家路への分岐までたどり着けばいつもならば変哲のない別れの挨拶を紡いで適当に歩いていくのだが、この日エドアルドは九条の名を呼び、振り返らせた。暗がりにも月に照らされて光る彼の翡翠色の瞳に、改めて彼とは人種が違うとその美しさに見惚れながら、そのくちから紡がれる言葉を九条は待った。
「本気の恋に臆病になるのは致し方のないことだ。それがお前みたいに全てを達観してると見せかけた弱虫なら尚更。だがな、花屋を傷つけるようなことが、不幸にするようなことがあったら、三毛猫も、二丁目の住人も、そしてこの俺も、黙っちゃいないぞ」
料理に舌鼓を打ちながら交わしていた会話の色とは似てもつかない重低音を響かせて九条に鋭利な視線を向ければ、彼は石像のように固まる。
しばらくのあいだ今にも殴り合いがはじまりそうな空気に纏われて視線を交わしたのち、ふっとひとつ息を吐いたのは九条のほうだった。降参とばかりに両手を掲げ、わかってるさ、と吐き捨てる。どこからともなく現れた三毛猫が、エドアルドに加勢しようとその足元に佇み毛を逆立てた。
擦り寄ってきたちいさな命に築くと翡翠色の瞳は目元を緩め、汚れた三毛猫のからだを抱き上げて穏やかに微笑む。
「ハハッ、ジャパニーズジョークネ、そんな怖い顔しないでよクジョー!」
そう言ってひらひらと手を振って、エドアルドは誰も知らぬ彼の家へと歩んでいく。
彼の姿を見送るでもなく、九条もすぐに踵を返して再び路地裏に足音を響かせた。
自分が想う男は、言葉にしてしまえば安っぽくなってしまうその魅力で二丁目の住人に、三毛猫に、いや、二丁目の街そのものに、愛されている。彼がそれを望もうとも望まざるとも。
「嫉妬しちまうほどにな」
そう言葉を紡いでも、九条の心は変わらない。
それどころか反抗期の子供のように、花屋への想いを自分の手には負えぬほど膨大なものにさせて、彼と自分が隣にいる未来を想像した。どうしても掴みたい未来が、生まれてはじめて九条の脳裏に描かれる。そこには確かに、花屋朔の姿が、あった。
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