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 花の金曜日を過ごした客は午前二時にもなればとっくに家路についている。エドアルドと九条の行きつけである陽気なジャズの流れるイタリア料理屋には、花屋とエドアルド、そして彼の共に花屋のもとへやってきた小柄な女が樽型テーブルに当距離で腰掛けている。 「サー、カンパイだ! 我々の出会いのヨロコビを祝して!」   声をたからかに響かせるのもグラスを持った腕を伸ばすのもエドアルドだけで、花屋は俯き、女は眉を下げて彼を見つめている。出会いの喜びなど欠片もない、葬式ムードのテーブルに生ハムの盛り合わせとバーニャカウダを運んできたのはLOTUSの見習いと職を掛け持っているバーテン服の男。  こんな場所に居合わせたくなかったと思いながら彼はそそくさとバックヤードへ姿を消す。   エドアルドだけがひとり乾杯の言葉を紡ぎ、テーブルに置かれたままのふたりのグラスを手にとっては彼らの代わりに乾杯の音を響かせる。俯いたままでいた花屋が微かに、小動物のように震えているのを瞳の端に映しても意に介することなくエドアルドは塩味の聞いた生ハムをくちに放った。   しびれを切らした、というには穏やかすぎる表情で女が何か言葉を紡ごうとした瞬間、それを遮ったのは花屋だった。腹の底から、絞り出すようなか細い声で彼はちいさく言葉を漏らす。 「……めんなさい、」   厚化粧を纏っているわけでもないのに目元が西洋人のように切れ長の女の瞳がまるくなる。花屋は唇をひとつ噛んでから、女の瞳を見つめるべく顔をあげた。彼の力強い、決意に満ちた感情むき出しの瞳を見たのは、女は勿論、エドアルドでさえも、はじめてのことだった。 「九条さんを、たぶらかしたのは俺です。バーに来たのを、誘ったのは、……俺なんです」  渦中の男の顔を浮かべる。 つい昨日まで眩しすぎる笑顔を浮かべていた男との決別を心に決めてかすかに震えながらも迷いのない言葉を紡いでいく。
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