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骨ばった男らしい輪郭、ひとつ通った鼻筋、薄い唇。射抜くような視線こそ昨夜向けられた穏やかなものとは異なっていたが、その男は全速力で閉店間際の店に駆け込み、向日葵のようなきらきらとした笑顔でバラのブーケを買っていった男だった。
確証を得てから花屋は視線を逸らす。
シャンデリアのわずかな光の下では自分の顔がはっきりと見えないのか、一度会った人間の顔を覚えないタイプなのか、それとも単純に自分の印象が薄かったのか、男が花屋に見覚えのあるような素振りをすることはなかった。
「さぁ、どちらでしょうね」
先刻の男からの問いに適当な答えをしてから、だらしなく頭を腕に預けたままひとくち口をつけたグラスを指さした。
「あのこれ、ありがとうございます」
「いーえー。ってか飲まないの?」
男は答えながら店主のほうへひらりと手をあげる。それに気づいたマスターが飲み残していた男のグラスを彼らのテーブルに持ってきては、邪魔者は退散だとばかりにそそくさとカウンターに歩を戻す。
「……強いのは、あんまり得意じゃなくて」
口を噤んだ花屋の顔を、上からじっと見つめる。
視線を逸らし、バレたかもしれないと覚悟をしながらも焦燥を浮かべることはしない。それならそれで、笑い話にしてくれることだけを祈っていれば、予想通りというようなくつくつという笑い声が降りかかってきた。しかしその笑いの矛先は、自分の正体がバレたからではなく、つい先刻の発言に対するものだった。
「っ、くは! ははっ! 子供みたいだな。ってか実際童顔か」
そっちか、と思いながらもどこか内心で安堵する。それでもすぐに童顔と言われたことに対して男の言葉通り子供じみた悔しさがこみ上げてむすっと顔を顰めた。
じゃあ俺がもらうよ、そう言ってグラスに指をかけようとした男の腕を払いのけて、花屋はようやく腕に預けていた頭を起こして勢いのままに淡水色の光るグラスを掴む。間一髪溢れることはなく、花屋がそのままくちに運んでは喉を鳴らしてアルコール度数の高いマティーニを水のように流し込むと、男はヒュウっと感嘆の口笛を鳴らした。
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