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  左腕に纏った年季の入った革の腕時計を見遣る。   てっぺんを示した長針と六十度の距離を保つ短針、日付はすっかり変わっていてふわりとわずかな眠気を感じる。慣れてしまったとは言えど、夜は眠くなるものだ。 「もういいか」   ひとりそう呟いて、店頭に置いていたミニブーケとブリザーブドフラワーを店内に戻す。短く切ったバラとかすみ草で包まれたミニブーケをしゃがみこんで手に取り、じっと見つめては、その花持ちの良さに彼は関心する一方、独身貴族の女に渡された避妊具を見てから脳裏にちらつき続ける性欲は無慈悲に募る。   さっさと行って少しだけ飲んで、適当な相手を見つけたら、わずかにアルコールのまわった身体で心地よいセックスをして寝よう。  花屋はそう思って店じまいの手つきを早めようとした。 ひと気のない路地裏に、革靴で走っているような音が聞こえる。    誰かに追われているのだろうか。そうだとしたら関わりたくないなと、花屋は思う。  足音はどんどんと店に近づき、荒い息遣いまでも耳に響く。  嫌な予感がすると、花屋は眉間に皺を寄せた。  シャッターを閉めてしまおう、そうすれば大丈夫。ちいさな脚立に乗って、腕をめいっぱいに伸ばして少しだけ頭を出しているアルミに指を引っ掛けた、その瞬間に花屋の悪い予感は的中する。 「待って! 待ってくれ!」  その声が自分に向けられているものじゃないと信じたかったが、脚立に登った花屋が声のほうにそろり、と視線を向けると、スーツの男が膝に手を付き息を切らし、花屋を見上げていた。 「はぁっ……は、まだ、いいか?」  本当はダメだと言いたいところだ。   いまこの手を下方に降ろせばシャッターが閉まって無視することもできるだろうが、きっと面倒臭いことになる。少し癪ではあるがこれも商売なのだから仕方がないと自分に言い聞かせて、花屋はシャッターに掛けた手を外し脚立から降りた。 「あぁ、はい」 「悪いね」  愛想の欠片もなく返事をした花屋にスーツの男は汗だくの顔で微笑んで右手を挙げた。 花屋の瞳に一番に映ったのは、男の高い鼻筋ではなく、切れ長の目元でもなく、膝を掴んでいる左手の環指に光るシルバーリング。  
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