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「あの奥にある向日葵を見に来た帰りでしてね。長旅だったもんですから、すこし休憩してから帰ろうかと」  平素ビジネスで紡いでいるような明らんだ声色を繕いながらも、落ち着かない様子の男の姿への疑問は残ったままだ。そうですか、と相槌を打ちながらも気になって仕方がないとばかりに助手席のほうへ視線を向ける男に、音に刺をまとわせぬように九条は男に問いた。 「知り合いですか?」   そう言って、花屋のほうに目配せをする。   男はあからさまに声をうわずらせて視線を右に左にと泳がせてから、「そんなところです」と言ったものの九条と視線を合わせない。   九条は男のうつむき加減の長いまつげを見つめる。その下に輝く瞳がひどく揺れているのを見て、彼が花屋とどれほどに深い関係であるかを計れずも、少なからず今もどこかで彼を想っていると確信すれば、嫉妬に似た情は頭で考えるよりも先に湧き上がって花屋が目を覚まさないことだけを祈った。  いや、むしろ目覚めてもいいのかもしれない。これも宿命と、見せしめのように深い口づけで花屋に想いを伝えるのもドラマチックでいいのだろう。  そんなことを思っては首を振って否す。 「……あ、の」  男の絞り出すような声が聞こえて、九条が再び視線を向ければ揺らいでいたはずの瞳はまっすぐ彼に向けられていた。 「彼、……朔は、幸せですか?」  思わず尻込みしてしまいそうになるほど、男の視線は強いものだった。  後悔と懺悔と、花屋が幸せであることを望んでいるような瞳に、九条は二丁目の三毛猫に鋭利な視線を向けられているときと似た感覚を覚えた。     同時に、九条は初めて花屋の名を知る。花屋朔、脳裏で呟いてみれば、天職にもほどがある名前だと、とこんな状況でも九条はちいさく笑う。   彼が店の花々に囲まれている幸福な顔を思い出す。   自分には向けられたことのないその満たされた表情を脳裏に浮かべてはじめて、九条は自分の本心を思い知る。 「幸せですよ。この寝顔、見ればわかるでしょう?」   言葉に刺を纏わせたのは、わざとだ。  強情を張って、お前なんかに触れさせやしないと、鋭利な声色とは裏腹に余裕に満ちた瞳で男に視線を向けた。
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