48/51
前へ
/131ページ
次へ
 助手席の花屋を起こさない程度のわずかな音量で付けたラジオから流れるエルヴィスプレスリーの名盤を耳に響かせながら九条はひとつの想いを必ず実らせようと心に誓う。それがひとりの人物を傷つきかねないとわかりながらも、隣で寝息を立てる男に対して募った情は、どうにも抗えないものなのだと自覚する。  物心がついた時から、自分の人生は華やかなものではないと決めつけて生きてきた。それを裏付けるかのように特出した幸福も、悲観するほどの不幸もなく、流されるがままに自分の道は作られてきた。他人からは不幸の中で幸福を掴みとろうとしている、そんな風に見えるというが、とてもじゃないがそんな生き方はしていない。   人生そういうもんだ、とどこか引いた視線で自分を、この二丁目を、自分が暮らす世界を見てきたのだ。  それでもこの想いだけは、と九条は祈りにも似た想いが募り、赤信号できつく瞼を閉ざす。  LOTUSのマスターは、この想いを笑うだろう。  老いぼれた三毛猫は、この想いを許してはくれないだろう。  二丁目の街は、どう思うだろうか。  思い留まろうか、それは罪なことなのか、もし君を好きにならずにいられないとしたら―― 名盤から流れる歌詞に想いを浸らせては、らしくないと自嘲する。ラジオのチャンネルを回して、脳裏に浮かべた二丁目の住人たちを振り払って、寝息を立てる花屋の額にちいさく口づけた。 「弱虫な俺が、はじめて自分で決める道だ。不安なのは、お前だけじゃねえ。そこに飛び込んでこ られるか? ――花屋朔」 かすかに揺れる声でそう呟いて、制限速度ギリギリまで、アクセルを踏み込んだ。
/131ページ

最初のコメントを投稿しよう!

477人が本棚に入れています
本棚に追加