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七月十一日午前一時半
この日はやたらと忙しかった。そう思いながらため息を吐く。
ホストクラブの男たちは上客の誕生祝いでもあるのか、次々と現れ一様におおきな花束を注文していったし、刺青の入った堅気でない男たちは彼らに似つかわしくない淡い色のヤマユリを買っていっては我が子のように手塩をかけて育てたその花の行方が心配になる。
途中やってきた三毛猫は前肢から血を流していて応急処置さえ施したが明日になったら病院に連れて行かなくてはと思ったのが午前零時。ショーケースの中は寂しいほどに仲間たちが減ってしまったから、仕入れの予定を早めないとなと思っていれば、また客がやってきた。
目まぐるしい日々の日報を書き終えて、シャッターを降ろすために脚立を取り出す。
二段、三段と昇ると、この日に限ってなぜか、閉店間際に駆け込んできた半年前の九条の姿が浮かんだ。
「……? なんで今なんだ?」
首を傾げながら足台を取り出しシャッターに手をかける。
ポケットに財布だけをいれて、鍵をくるくると回しながら半分ほど下ろしたシャッターをくぐり、薄暗い路地をサンダルで踏みしめた。
「オー! サク! 今日はもうミセジマイ?」
流暢ながらも響きだけで異国の人物だとわかる、聞き慣れた声がして花屋は猫一匹分の隙間までシャッターを下ろしながら、振り返ることをしない。
「ああエドアルドさんこんばんは。あいにく今日はもうおしまい、で……?」
背中の方から香ってきた、平素イタリア人が纏うものではないやわらかな香水の匂いに振り返る。牛三つ時を迎えているにも関わらずいつものように陽気な笑顔を浮かべているイタリア人の隣に、見ず知らずの小柄で清楚な女が、特段喜怒哀楽どれも浮かべずにただ立っていた。
血の気が引くのを感じたのは、決して外れたことのない、直感からだ。
終止符を打つのが遅すぎて、最も恐れていた事態になってしまった。
しゃがみこんで女を見つめていればくちは半開きになる。おそるおそる、確信しながらも、彼女の左環指に視線を映す。
月明かりがビルの隙間をくぐり抜けて、彼女の纏うシルバーリングを、煌々と照らしていた。
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