やめる理由

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 今日、私は辞表を上司に提出した。達筆で書かれた辞表を前にして上司は目を点にして、何度か私と机に置かれた辞表に目配りしていた。 「これは?」  私が出した辞表の意味を分かっているのに、上司は目を点にして聞いてくる。 「見ての通りの辞表です。昨日、言いましたよね。「もうやめてやる!」って」 「あ、いや・・・。それは聞いていたが・・・」  上司は驚き、戸惑っている。それはそうだ。あれは、酒の席での話の言葉であって、まさか本気でやめるなど、上司は考えてもいなかった。  私、一人が抜けただけでも仕事の幾つか滞ってしまう。ずっと前なら、再就職先などなく一生、この仕事を続けなくてはならないから上司はいい気になって、色々と無茶を言ってくる。自分が楽をしたいだけに。もしくは、上下関係を生かしての優越感を味わいたかったのかもしれない。だけど、時代は変わった。この業界が前々から黒い部分を含んでいたのは、世間に知れていた。昼夜を問わず、いつでも私達は駆りだされ働き詰めだった。休みなどなかった。  それを見かねて、おかみが業務改正を命じてきた。これにより、この業界も少しは改善されたけれど、他の職種に比べたら、まだまだ黒い部分が残っている。なにより、この仕事を好きだという者はあまりいない。好きだという者は、よっぽど、この仕事を愛しているか、何も考えていない奴ぐらい。  私は嫌いな方の部類に入る。最初こそ、この仕事は格好いいものだと思っていた。人と渡り合う緊張感。敗北した時の屈辱。いつか見返してやろうと思う。見返し勝った時の喜び。それらに生き甲斐を感じ仕事を続けてきた。しかし、どんなに生き甲斐を感じられる仕事であったとしても、手慣れてきて何年も経つと仕事は停滞し惰性的に行うようになってしまう。決まり文句だけをいい。淡々と業務をこなしていくしかない。この時の私は、仕事にロマンも幸福も感じられなくなっていた。きっと、私と渡り合ってきた人達もこんな心境だったのだろう。 「考え直さないか?」  上司は狼狽した様子で私に頼み込んでくる。だけど、私の意思は固く決して頷こうとはしない。そもそも、これ以上、関わりをもつことに嫌悪感を抱いていた。
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