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「秋月さん、鯛、焼けました」
「ありがとう。お膳に載せておいてくれ」
国中の神様が出雲に行ってしまうという神無月。留守番に残っていると言う恵比寿神を慰める日。
秋月の店でも、祀ってある恵比寿神の前にお供え物を置く。両手を合わせて目を瞑った秋月の横顔に、夏目がそっと視線を流した。
しがみついてきた秋月の腕。喉元にかかった熱い息がいきなり思い出される。
潤んだ琥珀の瞳、自分の膝に立てられた秋月の爪の感触。抱き寄せたその身体の熱さも―――濡れた唇の柔らかさも。
忘れようにも忘れられない甘い記憶に、夏目の顔が赤くなる。顔を上げた秋月から、慌てて視線を逸らした。その表情に夏目の思考を察した秋月の目元にも、朱が散った。
お互い何事もなかったように振舞ってはいたけれども、無かった事には出来ていないのが、分かっていて。どこかギクシャクとしてしまう。
「よ」
暖簾のまだ出ていない入り口。からりと引き戸を開けて入ってきたのは、葛見だった。
「オペで朝メシ食い損ねてさ、病院の食堂で食う気もしなかったからこっちに来た。何か食わせろよ」
「馬刺しの霜降りがありますから、お鮨にでもしましょうか?」
ああ、と葛見が頷く。
「適当に握ってくれ。サクラのハツかレバーはないのか?」
「今日は入ってないですね」
残念、と咥え煙草で葛見が呟いた。
「忙しい仕事なんだから、選り好みしてないで食事はきちんと取れよ。身体壊すぞ」
微かに眉を寄せた秋月が言うのに、葛見が唇の端で笑う。
「お前よりは鍛えてるよ……爪、見せてみろ」
夏目がどきりとするほど、優しい口調。素直に差し出した秋月の指を葛見が取った。引き寄せて爪の色を見る。
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